cubic in another

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アニメの感想など

一度きりの舞台を求めて——『レヴュースタァライト』の劇効果

 上手と下手の入れ替わりを舞台演出そのものとして劇的に力強く描ける点は、この作品の強みであるといえるでしょう。映像である以前に舞台でもある今作では、そこに表れてしまう作為でさえも、劇効果として利用することができます。 

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6話の想定線越え。絵コンテは佐伯昭志さん。

 6話で印象的だったこの想定線越えですが、同じように劇的な想定線越えが8話にもありました。「きらめきの再生産」——全ての光を一点に集め、赤から青へと舞台が変貌し、神楽ひかりが上手へと移動する。この色の変化と想定線越えに、私は『スタァライト』の感動の源泉を見たように思います。

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 8話では、赤色の舞台は用意された学校の舞台であり、また神楽ひかりが「きらめき」を失った後の舞台でもありました。その反復の戯曲に亀裂を入れたのは、あの約束の塔と青色の波。きっと、スポットライトの色である青色は、「ひかり」の色でもあるのでしょう。「ひかり、さす方へ」進むことを決めたとき、舞台の色が塗り替えられ、上手と下手が入れ替わる。つまり、たった一人の少女の想いが、覚悟が、決意が、舞台そのものを予測不可能な「運命」へと変貌させていく。この何よりもリアルな「舞台演出」こそが、『スタァライト』の感動の源泉ではないかと思うのです。 

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 予測不可能だということは、この作品自体に対しても言えることです。歌い踊り闘う彼女たちを見守る私たちの目は、この作品の物語を追う私たちの気分と奇妙な一致を見せています。だから、こうも思えてきます。「何が起こるか誰も予測できない運命の舞台。私はそれが観たいのです」とあのキリンは言いましたが、「誰も予測できない運命の舞台」を誰より求めているのは、私たち視聴者ではないだろうか、と。それに、そもそも舞台というのはナマモノであって、予定調和ではありません。そんなナマモノの舞台を、『スタァライト』は「映像」という完成品を放映する媒体で観せてくれる。映像の中に観劇の「気分」が巧妙に仕組まれている。一度きりの舞台をどこまでも追い求めた、非常に稀有な映像作品だと思うのです。

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 そして、青い夜空にきらめく赤い約束のタワーが、彼女たちの切り開いていく運命を予感させてくれているようにも思えるのです。*1

 

 

 


*1:第8話は絵コンテ、演出、アクション作画監督、さらには原画筆頭まで全て光田史亮さんです。この名を明記しないわけにはいきません(注で申し訳ない…)。ワイヤーアクションがめちゃくちゃかっこよかったです。素敵な挿話をありがとうございました。*

The Queen Is Alive ——ロリゴシックを読む

アイカツオンリーイベント「芸能人はカードが命!」第14回で頒布した本に収録した原稿です。文章が下手なうえ意味不明な方向に話が飛ぶので、読み返すと顔から火が出そうになるのですが、やたら頑張って書いた記憶があるので公開します(買ってくださった方すいません&本当にありがとうございました)。前後の稿と微妙に繋がってたりもしますが、単体でも読めると思います。

 


(本文中は全て敬称略)

 本稿は、ロリゴシックと夢小路魔夜、及び藤堂ユリカ、氷上スミレについて書いたものです。非常に先行研究の多い分野で、特に氷上スミレという人に関しては実に多種多様な考察がなされていますから、今更私が何か言うのもどこか二番煎じ感があるのですけれど、やっぱり『アイカツ』考察みたいなことをしていると避けて通れない分野なんですね。不思議な求心力があります。

 

前提:ゴシック&ロリータとは何か

 さて、ロリゴシックはゴシック&ロリータ、つまりゴスロリのブランドですから、ロリゴシックの話をするにあたっては、まずゴスロリの定義を明らかにしなければなりません。ゴスロリについては、霧矢あおい大先生が、作中で簡潔な説明をしてくださっています。

正しくはゴシック&ロリータ。少女の夢や、底に潜む心の闇を自己表現するファッションと言われている。アイカツカードのブランド、“ロリゴシック”もその一つ。

第19話「月夜のあの娘は秘密の香り」

 本来ならゴシックやロリータの歴史や定義について細かく説明するべきところだとは思うのですけれど、恥ずかしながら私自身がほとんど何も知らないので、ここでは上記の説明を“『アイカツ』におけるゴシック&ロリータの捉え方”としてそのまま受け取ることにします。ちょっとずるいような気もするのですけれど、付け焼き刃の知識で適当なことを書くよりはいいかなと。それに何より、「少女の夢や、底に潜む心の闇を自己表現するファッション」であるという点が、私には非常に重要なことのように思えます。ともかく、そういうことも含めて、夢小路魔夜の考え方と、ロリゴシックの世界の住人である藤堂ユリカ、氷上スミレ両名のアイドルを中心に、ロリゴシックを着るとはどういうことかを考えていきましょう。

 

There Is a Light That Never Goes Out

 ロリゴシックと言われると、ユリカがプレミアムドレスを手に入れる20話「ヴァンパイア・スキャンダル」のエピソードが真っ先に思い浮かぶ、という方も多いのではないでしょうか。このエピソードには、デザイナー夢小路魔夜の考え方やロリゴシックというブランドの特色が、実に色濃く表れています。まずはこのエピソードから詳しく見ていきましょう。魔夜は「僕の自信作」と自称するゴスマジックコーデをユリカに披露し、こう語りました。

今の君に、このドレスが着こなせるの?僕のドレスはね、強い女の子にしか似合わないんだ。毅然と凛々しく、顎はツンと上向きに。こんな写真撮られたぐらいでへにゃへにゃしちゃう女の子には着て欲しくない。

 対してユリカは、魔夜が持っていた雑誌を奪い、暖炉に投げ捨てる。その後の2人のやり取りも、そのまま引用します。

ユリカ「私は…私はプレミアムドレスが着たいの!あのドレスを着れば、もう一度ファンの前に立つ勇気が持てると思うから!だからお願い、ゴスマジックコーデを私にください!」

魔夜 「デザイナーは魂を込めて服を作る。だから、その服にふさわしい人間に着てもらいたいと願う。今の君が、このドレスにふさわしいと胸を張って言える?」

ユリカ「言えません…。でも、私、ロリゴシックのドレスが大好きなの!今はまだプレミアムレアドレスにふさわしくないかもしれない。でも、きっとそうなる!そのためならどんな努力もする!私は、誰よりもロリゴシックのドレスにふさわしいアイドルになります!」

 (…)

魔夜 「高い目標を目指して登っていけば、いつかそこへたどり着けるかもしれない。僕はそうやって努力する女の子が好きなんだ。君には、きっとこのドレスが似合う」

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 ここからわかる通り、夢小路魔夜の求める「強さ」は、普通の意味での強さではありません。それは、現時点での弱さ、至らなさを認めた上で、それでも高い目標を目指して努力する、そういう「強さ」です。そして、ロリゴシックのドレスは、「そうやって努力する女の子」にこそ似合う。そういう女の子の背中を押してくれる。前に進む勇気をくれる。89話に「気弱な主人公が仮面で変身して活躍する」という内容の『変身カレンダー』という本が登場しますが、ロリゴシックのドレスは、まさにその仮面のようなものです。この在り方は、作品全体を通して、全くブレていません。

 そういうわけで、弱さを受け入れた上で、それでも強くあろうとしたユリカの成長は、89話「あこがれは永遠に」で示されることになります。ユリカに憧れる少女、持田ちまきに「どうしたら、私もユリカ様みたいに強くなれますか?」と尋ねられ、ユリカは戸惑ってしまう。そして、「強さに憧れてた頃の私」を思い出す。悩んだ末、「昔から強かったわけじゃない」彼女は、「普段の私」をちまきに見せることで彼女の質問に答えました。

 この時の『永遠の灯』のステージでユリカが着用したのが、ナイトメアカプリコーンコーデ。青いバラをあしらった、山羊座のプレミアム星座ドレスです。この青いバラというモチーフについては、『アイカツスターズ』の方でも白銀リリィに関連するモチーフとして使われているので、ご存じの方も多いかもしれません。「不可能」と「夢かなう」という、対照的ともいえる2つの花言葉を持ち合わせた花です。

 この花言葉について簡単に説明しておくと、バラには本来青色の色素がないんですね。だから、青いバラblue rose)は、「不可能」、「存在しないもの」を表すものだった。ところが、その「存在しないもの」を存在させようとする人たちが表れてきます。そして、気の遠くなるような実験を重ね、たゆまぬ努力を続けた末、サントリーの研究者チームがついに青いバラの開発を成功させる。その際に「夢かなう」という花言葉が付けられたというわけです。

世界初の青いバラは「SUNTORY blue rose Applause」と名づけられ、販売が開始されました。アプローズとは「喝采」という意味で、花言葉は「夢 かなう」です。夢をかなえるために努力してきた多くの人へ喝采を贈りたいという想いが込められています。

開発ストーリー|世界初!「青いバラ」への挑戦

 繰り返しになりますが、青いバラは本来存在しないものです。開発された青いバラは、あくまで遺伝子組換えによって作られた、人工的なものに過ぎません。けれど、それは確かにそこに存在し、実際にたくさんの人を喜ばせている。

80代の女性から「長生きした甲斐がありました」というお手紙と共に、青いバラをモチーフにした手作りの刺繍を贈っていただいたことも。見ず知らずの私たちのために一針一針縫ってくださった姿を思うだけで涙が出ます。

開発ストーリー|世界初!「青いバラ」への挑戦

 藤堂ユリカも同じです。彼女も吸血鬼という「存在しないもの」を演じることで夢を叶えてみせました。弱さを克服して見せました。そんな彼女の姿は、夢に向かって努力する多くの人たちに、今も勇気を与え続けています。

 ところで、2ndシーズン後半には、完結編と言えるようなエピソードがいくつかありますね。見方にもよりますが、例えば、霧矢あおいなら71話「キラめきはアクエリアス」、音城セイラだと95話「夢の咲く場所」などなど、世代交代前に特定のキャラクターの物語を一旦締めくくるような、そういうエピソード。89話もその一つだといえると思います。そして、これらはもちろん「終わり」を意味するものではありません。最初に『START DASH SENSATION』について書いたことと同じ主旨の話になりますが、『アイカツ』は物語が収束してしまうことを、注意深く避けてきました。恋愛を御法度にしているのも、そういう理由からでした。

(木村隆一) ちょうど僕が作業を始める頃は、『プリティーリズム』という女児向けのアイドルアニメが大人気でした。だから、同作といかに差別化するかをまず考えました。大きなところで違いを出すのは難しいなと思ったので「細々としたことを積み重ねて、違う雰囲気のものにできたらいい」と思っていたんです。『プリティーリズム』がわりと正統派の少女マンガ路線だったのに対し、本作の場合は「スポ根もの」というテーマがあったので、恋愛要素はあまり前に出さないようにしようと考えました。とはいえ、当時少女マンガや少女雑誌をいろいろ読むと、どれも恋愛の話ばかり。それでも、恋愛の絡まないところでひとつ世界観を作れないかなと考えていたので、これが特徴といえば特徴ですかね。

——「恋愛には触れない」というコンセプトからスタートしたんですね。

 恋愛をあまり前に出さないようにしようと思った理由がもうひとつあります。恋愛があると、どうしても思いが成就したところで、お話が終わってしまうんです。プロデューサーから「作品を長く続けたい」と言われたこともあって、あまり物語が収束してしまう世界観を作らないようにしようと思いました。

アイカツ!オフィシャルコンプリートブック』(学研パブリッシング、2014年、130-131頁)

 ですから、当然89話も「終わり」を意味するものではない。それはそうです。そうなんですが、89話の場合は、またちょっと違った意味合いがある。というのも、ロリゴシックには元から「終わり」なんてないんですね。夢小路魔夜の言ったことをもう一度引用します。

高い目標を目指して登っていけば、いつかそこへたどり着けるかもしれない。僕はそうやって努力する女の子が好きなんだ。君には、きっとこのドレスが似合う。 

 そういうことです。つまり、ロリゴシックが似合うのは「いつかそこへたどり着けるかもしれない」と信じて努力する女の子ですから、強くなったことに満足してしまってはいけない。だからこそ、魔夜が「成長した藤堂ユリカに着てもらいたい」と言うナイトメアカプリコーンコーデには、「不可能」を意味する青いバラがあしらわれているわけです。

 そして、藤堂ユリカはロリゴシックが似合う女の子ですから、不可能性をその身に纏って、どこまでも高みを目指していく。「いつかそこへたどり着けるかもしれない」と信じ、「脆く儚い心」を灯して。青いバラのドレスを纏って堂々とランウェイを歩く彼女の姿には、そういうロリゴシックの「強さ」が確かに感じられます。その姿から、持田ちまきをはじめとした「弱さ」を抱えた少女たちは、たくさんの勇気を受け取ったことでしょう。

 ところで、これは余談ですが、青いバラを開発したチームも、不可能への挑戦をやめたわけではありません。そして2012年5月9日、新潟県サントリーは、青いユリの共同開発に成功したと発表しました。*1 不可能を可能に変えた果ての、さらなる不可能への挑戦。その挑戦がユリの花だったのは、単なる偶然でしょうか。 

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「偉大なるぺてん師」の魔法

(一応断っておきますが、ここからは『オズの魔法使い』、『リトルウィッチアカデミア』、『亜人ちゃんは語りたい』の3作品のネタバレを含みます。『オズの魔法使い』以外は内容に深く触れることはしませんが、念のため。)

 氷上スミレについて書くならまずは108話「想いはリンゴにこめて」の話から、と思っていたのですが、ちょっと先にグロウスドロシーコーデの話をしようと思います。というのも、グロウスドロシーコーデについて、夢小路魔夜が「これぞ、ロリゴシックの王道と言える自信作だ」(144話)と言っているんですね。そうなると、ちょっとこれは無視できない。実際、このドレスには「これぞロリゴシック」といえるようなものが仮託されているように思います。

 一応このドレスについて、簡単な確認をしておきましょう。グロウスドロシーコーデは、『オズの魔法使い』のドロシーをイメージしたドリームドレスです。アニメ本編では、144話「ドッキリアイドル大作戦!」の『エメラルドの魔法』のステージでスミレが着用していました。『エメラルドの魔法』の歌詞も、明らかに『オズの魔法使い』を意識したものになっています。

 『アイカツ』と『オズの魔法使い』については、切っても切り離せない関係があるようで、やはり素晴らしい考察がいろいろなところでなされていますから、ここではロリゴシックとの関係に絞って話を進めていこうと思います。

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 さて、先ほどロリゴシックの「強さ」は、現時点での弱さ、至らなさを認めた上で、それでも高い目標を目指して努力する、そういう「強さ」だ、という話をしました。その意味で、ロリゴシックの「強さ」は「弱さ」と不可分です。そして、この「強さ」の在り方は、『オズの魔法使い』に登場する脳みそのないかかし、ブリキのきこり、臆病なライオンと重なるところがあります。

 『オズの魔法使い』では、かかしは脳みそ、きこりは心、ライオンは勇気、各々が足りないものをオズ大王にもらおうと、ドロシーと共にエメラルドの都を目指して旅をします。最終的に、彼らは皆、その足りないものを手に入れることになります。

 では、偉大なる魔法使いオズ大王が、脳みそや心や勇気を、魔法を使って彼らに授けてくれたのか。違いますね。彼らは皆それぞれ望むものを持っていなかったからこそ、それを手に入れることができたのでした。

 わらの詰まったかかしは脳みそがありませんから、誰よりも一生懸命ものを考えます。かかしの考える策がなければ、ドロシーたちは命を落としていたかもしれません。崖や川を越えることができたのも彼のおかげです。一方、ブリキのきこりは心がありませんから、誰よりも人に優しくしようと常日頃から心がけます。野ネズミの女王を助けたのも彼でしたし、泣けば口が錆びついてしまうというのに、彼は劇中何度も涙を流しました。そして臆病なライオンは、これはひどく逆説的な言い方になりますが、臆病だからこそ勇敢になれたのでした。

「でもわしの勇気はどうなる?」心配そうにライオンが聞いた。

「勇気に満ちているじゃないか、あんたは」オズがこたえた。「あんたに必要なのは、あとは自信だけだ。危険を目の前にしてこわがらない生きものなど、どこにもいやしない。本物の勇気というのは、こわいと思いながらも危険に立ちむかうことだよ。そしてそういう本物の勇気を、あんたはもうたっぷり持っている」

L・F・ボーム『オズの魔法使い』(河野万里子訳、新潮社、2012年、179頁)

 彼らは皆、自分の足りないものを知りながらも、それを求めて旅をした。その過程で、それぞれの望むものを自分の力で手に入れたわけですね。そして、「エメラルドの都に行ってオズ大王に頼めば、きっと願いを叶えてくれるわ」と、彼らを旅に誘ったのは、他でもないドロシーです。

 結局、「偉大なる魔法使い」だと思っていたオズ大王は、「偉大なるぺてん師」でした。彼は魔法なんて使えない。けれど、かかしもきこりもライオンも、旅の途中でもう「ほしいもの」を手に入れていましたから、何の問題もありません。あとは、彼らが自分を信じられるよう、ペテンにかけるだけでいい。でも、それができるのはオズ大王だけですから、やはり彼は「偉大なるぺてん師」なんですね。そしてこれこそが、「エメラルドの魔法」です。

 ロリゴシックも同じです。ユリカは「あのドレスを着れば、もう一度ファンの前に立つ勇気が持てると思う」と言いました。ロリゴシックのドレスは、「弱さ」を抱えたまま、それでも強くあろうとする女の子の背中を押してくれます。かかしやきこりやライオンをドロシーが旅に誘ったのと同じように、です。そして、ロリゴシックを着る少女たちは、自分の持っていないものを手に入れるために、一旦はロリゴシックのドレスという「魔法」に頼る。けれど、そうして「ほしいもの」を手に入れようと立ち向かううちに、本当にそれを手にすることになるわけです。

Somewhere over the rainbow way up high

There's a land that I heard of once in a lullaby

Somewhere over the rainbow skies are blue

And the dreams that you dare to dream really do come true

Judy Garland - 『Over The Rainbow』

さぁ 遠く虹の彼方へ

願いごとがあるなら

ほしいものがあるなら

たちむかわなくちゃ

『エメラルドの魔法』

 ところで、ちょっと個人的な話になりますが、最近トリガー代表取締役大塚雅彦が『リトルウィッチアカデミア』最終回に関して、「人間の成長とは人格が変わったり丸くなることではなくて、己を知ることなんだろう」*2と言っていて、なるほどなあと思ったんですね。アツコ・カガリは憧れに向かって突っ走るタイプの主人公ですが、なかなかシャリオみたいに上手く魔法が使えない。けれど、憧れに向かって努力する中で、だんだんと自分の強みや弱みを自覚するようになっていく。そしてそれを自覚した上で、尚も憧れに正直であり続ける。

 だから、前稿で「何かになりたい」と思う気持ちについていろいろと書きましたが、それはもちろん自分を捨てて何かになってしまえばいいという意味ではなくて、己をちゃんと知った上で、その己自身となりたいものとの間に表出するもの、この二点間に生ずる何ものかが大事なんだと思うんですね。そして、北大路さくらと大空あかりの「オリジナルスター」や、ロリゴシックの「強さ」は、きっとその表現の一面なのだろうと思うのです。もちろんこれは『アイカツ』に限った話ではなくて、アツコ・カガリも、緑谷出久も、苗木野そらも、藍華・S・グランチェスタも。あるいはこのセリフを引いてもいいかもしれない。「いつだって、何かを変えていく力は、“だとしても”という不撓不屈の思いなのかもしれない」*3

 

 話が大分逸れてきましたが、最後にもう一段回逸らしてみようと思います。藤堂ユリカと逆、というわけではないですが、『亜人ちゃんは語りたい』には、バンパイアの性質を持ちながらも普通の高校に通っている、小鳥遊ひかりというキャラクターがいます。彼女について、主人公の高橋鉄男先生がこういう事を言う。

確かにあいつは『バンパイアの性質』に即した行動はあまりしない

だがそれでバンパイアらしくない・・・・・と言われると

…それは違う

ひかりは人から血を吸いたい気持ちはあるがパックで我慢している

またバンパイアの嗅覚を上回ってなお匂いの強い食べ物が好き

そういった『人間性』があいつのバンパイアらしさ・・・・・・・・であり 人間としての個性・・・・・・・・

らしさ・・・は生まれ持った『性質』ではない

『性質』をふまえてどう生きるかだ

ペトス『亜人ちゃんは語りたい2』(講談社、2015年、28-29頁)

 これが、私の中での今のところの「らしさ」の定義です。そういうわけで、今度こそ本当に氷上スミレの話をします。

 

選びとった運命:氷上スミレの進む道

 先ほど述べたように、まずは108話「想いはリンゴにこめて」の話からいきたいと思います。とはいえ、これに関しても既にたくさんの素晴らしい考察がなされていますから、私からは一点だけ。それも表面的なことだけ。すなわち、何故魔夜はスミレにスノープリンセスコーデを託したのか、についてだけお話しようと思います。

 

 20話で魔夜はユリカに「今の君が、このドレスにふさわしいと胸を張って言える?」と尋ねました。今思い返すと、これはユリカを試すための質問だったといえます。模範解答は「今はまだふさわしくないけど、必ずふさわしいと言えるアイドルになる」といったところでしょう。ユリカは見事、魔夜の求める「強さ」が自分にあることを示してみせました。

 では、108話の場合はどうか。魔夜(とユリカ)がスミレにした質問はこうです。

魔夜 「実はそのリンゴ、付けるかどうか最後まで迷ったんだ。だって物語の中では、白雪姫を危機に陥れる毒リンゴ。白雪姫のドレスに付けるのはどうかなあって…」

ユリカ「氷上はどう思う?」

魔夜 「正直に言っていいんだよ」

 この時ユリカは何かに気づいたような反応をしますが、それについてもやはり素晴らしい先行研究がありますから、そちらに譲ることにします。*4ともかくここで私が言いたいのは、魔夜が白雪姫のドレスにリンゴを付けないわけがない、ということ。もちろん、「ロリゴシックのダークなイメージと毒リンゴはよく合うから」というイメージの話ではありません。

 “『アイカツ』におけるゴシック&ロリータは、「少女の夢や、底に潜む心の闇を自己表現するファッション」である”ということは、最初に確認しました。ですから、ロリゴシックのドレスも「夢」だけを表現したものではない。魔夜の作るドレスには「夢」と「底に潜む心の闇」、もっと平たく言えば、プラス要素とマイナス要素が、必ず含まれています。「弱さ」に立ち向かう「強さ」はもちろんのこと、強くなったユリカのドレスにも、「不可能性」と「夢 かなう」があしらわれているぐらいですから。そして、持っていないものを手に入れるための旅に誘うドロシーは、「これぞロリゴシックの王道」といえるようなモチーフになり得るわけです。

 ですから、『白雪姫』の物語から毒リンゴというマイナス要素を捨象し、純化された綺麗な夢物語に仕立て直してしまうことは、ロリゴシックの在り方に真っ向から反する。夢小路魔夜がそんなことをするはずがありません。「付けるかどうか最後まで迷った」なんて、毒リンゴよりも真っ赤な嘘です。

 そして、恐らく無意識的にではありますが、氷上スミレはこのことを理解していた。あかりやひなきと違って、彼女は108話の冒頭から一度もリンゴの存在に疑問を抱いていません。そして魔夜の質問に「変じゃありません!」と答えた。ここで少し話を戻しますが、108話で魔夜の屋敷に乗り込む前、ユリカはこう言っていました。

あんまり甘えてると血を吸うわよ!ロリゴシックのドレスは魔夜さんの魂!そのプレミアムドレスを着ていいのは、このブランドを愛し、理解し、その世界の住人になれる者だけ。私はそう思ってる。魔夜さんに会えるかどうかはあなた次第よ。頑張りなさい!

 ですから、魔夜の質問は、ロリゴシックを愛し、理解しているかどうかを試す質問だったわけです。そしてスミレは、見事にその「愛」と「理解」があることを証明してみせたのですね。

 しかしながら、これは「愛」や「理解」を試す質問ではあっても、「強さ」を試す質問ではありません。だから、この時スミレにドレスを託したことは、魔夜にとってある種の賭けであったように私には思えます。実際、スミレはモデルか歌かの二択を迫られた際、流されるような形で一度はモデルの道を選びましたから、108話時点のスミレが魔夜の求める「強さ」を持っていたとは、ちょっと考えにくい。

プロの人たちが、私にそれが向いてるって言ってくれるなら、それが私の得意なことなのかもしれない。あかりちゃんがお天気キャスターのお仕事に進んだみたいに、私も、モデルに進んでみようと思う。

第117話「歌声はスミレ色」 

けれど、最終的にスミレは自分の気持ちを信じて、自分の意志で歌の道に進みます。魔夜とユリカの見立ては正しかったわけですね。

スミレ「占いでね、行く手には深い霧が立ち込め、どの道を行けばいいのかわからないって出たの」

あかり「それ、いいこと占い的には?」

スミレ「先のことなんて誰にもわからない。だったら、自分のやりたいことをやりなさいってことだと思う」

あかり「そうだね!」

スミレ「あかりちゃん言ったでしょ?お天気キャスターのオーディション受けるとき、これがいいって思った自分の気持ちを信じて、進んでみようと思うって」

あかり「うん!」

スミレ「ありがとうね、自分の気持ちが分かったの、あかりちゃんのおかげだ。 私も信じてみる、自分の気持ち」

第117話「歌声はスミレ色」

 ところで、この歌かモデルかの分かれ道の話は、どことなく「ヘラクレスの選択」を想起させます。「美徳へ続く茨の道と快楽へ続く桜草の道を前にして、ヘラクレスは前者を選んだ」というあれです。安易な刹那的快楽に溺れず険しい茨の道を進めば、その先には美徳*5がある。これもまた、ロリゴシックとの親和性の非常に高いモチーフではないでしょうか。そして、この選択が『いばらの女王』へと繋がっていきます。

 スミレはスターライトクイーンカップに際して、歌を極める決心を再び強く固め、インタビューではっきりこう答えました。「私は、スターライトクイーンになって、歌でアイドルを極めます」。それを見た魔夜は、ニヤリと不敵に笑う。それからすぐにスミレを呼び出し、こういうことを言います。

魔夜 「インタビューに答えてるのを見てね、スミレがクイーンを目指すためのドレスを作りたくなった。歌一つで、自分に厳しくアイドルの道を切り開いていこうとする君に惹かれたんだ。さながら、いばらの女王。進む道も茨なら、スミレの心の奥にも、まだ恐れの棘があるでしょう。それでも進もうとする意志の強さを、ドレスで表したい。僕に作らせてくれないか」

スミレ「是非!お願い致します!」

魔夜 「ありがとう。着るからには、クイーンになってよ」

スミレ「はい!」

第166話「私が見つけた最初の風」

 夢小路魔夜という人は、本当に微塵もブレませんね。ファンが多いのも合点がいくというものです。そういうわけで、最後はやっぱり『いばらの女王』の話で締めましょう。

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アンニーバレ・カラッチ作『ヘラクレスの選択』(1596)

 

The Girl with the Thorn in Her Side

 SA(スペシャルエー)ランクのフィーバーアピールというのは、改めて思い返してみると、非常に難度の高いものでした。神崎美月*6は「一番難しいSAを成功させた人を、私はまだ見たことがありません」(174話)と言っていますし、新条ひなきのステージに対して織姫学園長は「SAランクのフィーバーアピールはまさに異次元の領域。そこに近づけただけでも、新条を讃えるべきでしょう」(176話)という発言をしています。ですから、これはもう端的に、途方もなく難しいことなわけです。にもかかわらず、何故スミレはSAランクにこだわり、挑戦する道を選んだのでしょうか。これには大きく分けて、2つの理由が挙げられます。

 まず1つめは、(これは誰もが口を揃えていうことですが)彼女の成長を描くにはこうするのがベストだったいうこと。117話の時点では彼女は挑戦を諦め、一旦はモデルの道(桜草の道)へ進もうとしていましたから、彼女の成長を描くには、“挑戦”をもってするしかないわけです。スミレが見つけた最初の風に対する回答は、それ以外にありえない。加藤陽一が「ステージで失敗する展開は、4年目が始まる時から決まっていました」と言っていたのも、やはりそういうことだと思います。

 そして2つめは、彼女がロリゴシックの世界の住人だから。これについても今更説明する必要はないですね。「いつかそこへたどり着けるかもしれない」と信じて努力する女の子が、SAランクへの挑戦を投げ出すはずがありません。

 本来ならこの話はここで終わりです。176話のフィーバーアピール失敗は、放送当時は否定的な意見もそれなりにあり、SNSなども騒然としていたけれど、よくよく考えてみれば氷上スミレの成長とロリゴシックの在り方を丁寧に描いていただけだった、というだけのことです。なんですが、ここはもうちょっと深読みをしてみたい。先に断っておきますが、これから述べる解釈は、それなりに無理のある解釈です。

 

 さて、まずは夢小路魔夜の発言を、もう一度確認しておきましょう。

魔夜 「インタビューに答えてるのを見てね、スミレがクイーンを目指すためのドレスを作りたくなった。歌一つで、自分に厳しくアイドルの道を切り開いていこうとする君に惹かれたんだ。さながら、いばらの女王。進む道も茨なら、スミレの心の奥にも、まだ恐れの棘があるでしょう。それでも進もうとする意志の強さを、ドレスで表したい。僕に作らせてくれないか」

スミレ「是非!お願い致します!」

魔夜 「ありがとう。着るからには、クイーンになってよ」

スミレ「はい!」

 魔夜は「着るからには、クイーンになってよ」と言いました。これはもちろん、「僕の作ったドレスを着るからには一番を目指してよ」という、そのままの意味でしょう。けれど、ただ単に一番になるだけであれば、実はSAランクのアピールを出す必要はなかった。解説を務めた神崎美月はこう言っていました。

氷上さんは、フィーバーアピールの中でも最も難しいSAランクに挑戦したんです。やらなくてもトップを狙えたにも関わらず、挑戦することを選んだ。その姿勢は素晴らしいと思います。

第177話「未来向きの今」 

 もちろん、あかりがSAランクを出す可能性はありました。けれど、現実的に考えると、今まで成功例が1つもないようなことを最後の1人が成功させる可能性は、限りなくゼロに近い。我々の立場から見れば「大空あかりは主人公だから出すかもしれないなあ」と言うこともできますが、あかりはスミレのステージを受けて「やりきってくる、私も」と言ったわけですから、もしスミレが無難にAランクを狙っていれば、1位スミレ、2位あかりという結果もあり得たかもしれません。メタ的な視点に立ってさえ、そういうことになるんです。

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 まあともかく、彼女は挑戦することを選びました。当たり前ですが、これは本当に怖いことです。3年連続スターライトクイーンという前代未聞の偉業を成した人が、「まだ見たことがありません」と言うようなことです。しかも、「やらなくてもトップを狙えた」わけですから、もうデメリットだらけです。モデルの道に進もうとしていた時の彼女なら、挑戦を選ぶことはなかったでしょう。けれど、成長した氷上スミレは挑戦することを選んだ。そして結果は、アピール失敗でした。

 さて、この時のことをよく思い出してみてください。某プロ野球選手のことは思い出さなくていいですよ。

 「王冠の色に染められ」のところで、スミレはアピールに失敗し、一度床に倒れてしまいます。恐らく、かなりのショックだったと思います。このステージのために人一倍努力を積んできたにもかかわらず、この時点でスターライトクイーンへの夢は絶たれてしまったわけです。けれど、スミレはすぐに立ち上がり、再び歌い始める。そうです。彼女はロリゴシックが似合う女の子ですから、毅然と凛々しく、顎はツンと上向きに。アピールに失敗したぐらいでへにゃへにゃしちゃう女の子じゃない。そして、「凛としてステージの上 私 いばらの女王」と歌い終わった瞬間、オーラが復活します。凛とした表情を浮かべ、堂々とステージに立つ彼女の姿は、恐れの棘と闘ういばらの女王そのものです。失敗をものともしないその姿は、本当にかっこいい。ですから、私にはどうしてもこう見えます。この瞬間、彼女はいばらの女王クイーンになった、と。

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 この解釈が妥当なものか、飛躍しているのか、私にはよくわかりません。けれど、魔夜の言った「着るからには、クイーンになってよ」は、なぜだか「スターライトクイーンになってよ」という意味に聞こえない。「恐れの棘と闘ういばらの女王になってよ」の方がロリゴシックらしいと思ってしまうんです。

 

その声が地図になる

 そろそろまとめます。さっきは引用しなかったのですが、89話にはこういうセリフがありました。

私が強くなれたのは、「大好きなロリゴシックのドレスでアイカツしたい!」って気持ちがあったから。もしも今とは違う自分になりたいなら、まずは少しだけ自分を変えてみるの。いつもより10分早起きするとか、勇気を出して今より大きな声でおはようって言ってみるとか。かわいいお洋服をね、着てみるのもいいかも。そしてある日、鏡を見るの。きっと違う自分、憧れていた自分に会えるから。やってみて!*7

 けれど、藤堂ユリカでさえスキャンダルに負けそうになったことがあるわけですから、私たちもきっと、何かに負けそうになることがあります。だからこそ、氷上スミレはこう歌うんですね。

もし今あなたが 迷って泣いてるなら

ここへきて 地図をたしかめ ドレスに着がえ出かけましょう

 最初から強いわけじゃない私たちは、進む道を決めて、少しずつ自分を変えてみても、きっと迷ってしまうことがある。けれど、そういう時は一度ここに戻ってこればいい。そして、もう一度進む道を確かめ、勇気をくれるロリゴシックのドレスに着替えて、それからまた出かければいい。今はまだ幼い子どもたちも、いつか闘うべき時が来たら、彼女たちの姿を思い出すのだと思います。そして、「あの時ユリカ様が言ってたみたいに毎日頑張ろう」、「あの時のスミレちゃんみたいに私も挑戦する」と、地図をたしかめて歩いていける。「逆位置の意味ならば挫折になるとしても 夢や光や歌が美しいことを伝えた」彼女たちの偉大さは、どれほど強調しても足りません。

 そういうわけで、最後はやっぱりこの言葉で締めましょう。

涙に傘をさす 笑顔はホンモノで

いつでも あこがれが最初の道しるべ 

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*1:新潟県とサントリーが「青いユリ」の共同開発に成功

*2:Newtype』2017年8月号(角川書店、138頁)

*3:戦姫絶唱シンフォギアAXZ』第10話「アン・ティキ・ティラ」

*4:「アイカツ!108話「想いはリンゴにこめて」 リンゴにこめられた3つの想い」 - 末吉日記

*5:シェイクスピアの『ハムレット』では「天国へ続く険しい棘[いばら]の道」(the steep and thorny way to heaven)という言い方をしています。(第一幕 第三場、訳は河合祥一郎氏に拠る。)

*6:ご存知の通り、この人はスペシャルアピールを1曲中に4回出すという偉業を成した人です。

*7:本当にただの個人的な感想なのですが、私はここが『アイカツ』で一番の名シーンだと思っています。

『HUGっと!プリキュア』15話と16話について

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HUGっと!プリキュア』15話、一見すると好き勝手に遊びまくっているような印象がありますが、その実かなり計算された演出だったと思います。ちょっとした間の取り方やSEひとつとってもピタッと嵌まる感触がありますし、何よりノリと情緒の緩急の付け方が圧倒的に上手い。否応なく感情を揺さぶられてしまいますし、ギュイーンとソウルがシャウトしてしまいます。いろいろ言葉を探したのですが、「丁寧な力技」というのが一番しっくりきました。

 

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 ルールーがはじめて怒る話数を田中裕太さんに投げたのは、シリーズディレクターのお二人やプロデューサーの判断でしょうか。何にせよ、これ以上ないほどの適材適所だったと思います。こういうコミカルな膨れ顔もあの演出のなかでは違和感がありませんし、テンションの高いシーンから情緒的なシーンへの落とし込みが、ルールーの無意識の変化と上手くシンクロしていたと、少なくとも事後的にはそう言えると思います(というかたった3話でここまで表情豊かになったことにびっくりです)。

 

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 こういうのを1カットでやってしまうあたりは、やっぱりすごいなあとしか言いようがないですね。

 

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 フレアを効果的に使ったレイアウト。15話の中でも、かなり情緒に振ったシーンですが、この後一気にギャグ(えルっとプリキュアに振り切ります。この振り回し方がまたなんとも素晴らしい。ずるい。

 

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私も…ヒーロー!

『ヒロアカ』を彷彿とさせるシーン。こういう屈託のない憧れを描ける作品は、絶対になくなってはいけないなと思います。後ろ姿がかっこよくて、光ってて、かつ野乃はならしさがあるあたりが最高です。

 

 対して16話は、全体の構成や流れよりも個々のレイアウトや芝居に賭けていたように思います。今石洋之さんが「(『グレンラガン』)8話のBパートとかは、ほとんど感情だけでコンテをきっている」*1と言っていましたが、その感覚に近いかもしれません。あるいは、絵コンテの仕事自体の経験がまだ少ない*2 というところも影響しているのかもしれません。ともかく、熟練のコンテマンのそれにはない「荒さ」と「繊細さ」があった、と思います。

 

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 こういうシーンは、まさにド直球です。全体の構成や纏まりではなく、その時々のキャラクターの感情によって、如何様にも場面が変容していく。そうした演出は、感情のすれ違いを描いたこのエピソードのあり方とも合致していますし、「力のプリキュア」たるキュアエトワールとも通ずるところがあるように思います。だからこそ、3人の手が重なるカットは、力強く真正面から響きます。

 

 とはいえ、16話はとかくアクションが、芝居が、作画が素晴らしいの一言に尽きると思います。個々の芝居やレイアウトを直球で投げ込む演出は、コンテを切った人が作監や原画を担当してこそ可能になるという面もあるでしょう。全編通して、元の元にある作りたかった画面の意図をそのまま叩き込んだような、そんな力強さがあります。

 

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 一人一人に寄るのではなく、1カットに様々なキャラクターを収めていく画面構成も素晴らしい。この1カットからだけでも、登場人物それぞれの感情の流れを画面に収めようとする姿勢が伺えます。

 こうした15話と16話の差異を〈演助や制作出身の演出家〉と〈アニメーター出身の演出家〉みたいなわかりやすい図式に当てはめるのはいかにも安直という感じがしますが、そう考えてみたくもなってしまいます。もちろん、ちょうど最近鬼太郎が言っていたように、「どちらが一つでいいなんてことは絶対にない」(『ゲゲゲの鬼太郎 』(2018) 第3話 たんたん坊の妖怪城)わけで、こうした毛色の違う話数を同じ作品で堪能できるということ自体が、分業を主とするTVアニメの魅力なのだと思います。

 


*1:今こそ語ろう『天元突破グレンラガン』制作秘話!! 第8話 あばよ、ダチ公

*2:渡邊巧大さんが絵コンテを担当したのは、現時点で『タイガーマスクW』38話と『HUGっと!プリキュア』16話のみ。

改めて『よりもい』を語る

宇宙よりも遠い場所』について言い足りなさみたいなものをずっと感じていて、なんだかもうどうしようもなくなってしまったので話を聞いてもらいました。私の拙い文章力では『よりもい』には敵わないみたいです。

K:このブログを書いている人。浪人を経て某大学で文学とかを学んでいる。好きなアニメは『アイカツ』と『ARIA』。
T:Kの友人。某理系大学院でセンサーみたいなものを作っている。好きなアニメは『新世紀エヴァンゲリオン』と『〈物語〉シリーズ』。

 

第1話,第2話の画作りと青春

K:『よりもい』は何もかもすごかったけど、言いたいことがたくさんあるのはやっぱり日本編(1〜5話)かなと思うので、今日はその話をメインにしていこうと思う。

T:うっす。初期のエネルギーは確かにすごかったよね。1話2話あたりを観た時の高揚感も、5話を観た時の「とんでもないぞこれ」って感覚も、はっきり覚えてる。

K:うんうん。本当にすごい作品だった。じゃあ1話の話からいきますか。有り体な言い方になっちゃうけど、1話ってすごくテンポがいいじゃない。目に映るもの、画面に映っているものがバシバシ繋がっていって、話数内での同ポもガンガンリンクする。

T:映像として隅々まで作り込まれてる感じがするよね。最初に出てきた鳥が最後に飛び立ったりとか、すごく綺麗にまとまってる。台所の蛇口から水滴が落ちて駅のホームに繋がるとことか、めちゃくちゃすげーって思ったなあ。

K:あのシークエンスは本当にすごいよね。『ハルカトオク』が流れて、公園のシーンとキマリの部屋のシーンを繋いで…。冷蔵庫に貼られた日本地図とかも天才的。

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© YORIMOI PARTNERS

K:あと、授業中のシーンが大好きなんだよね。黒板に“why don't you travel?”って書かれてて、先生がキマリの頭をポンと叩いて、音読してる生徒が“Enjoy your trip”って言う。天才だと思った。

T:あれ巧いよなあ。あと、走り出すところでしっかり尺を使ってるのも良い。エモい。

K:テンポがいいからこそ、そういうシーンにしっかり情緒があるんだよね。

T:…1話の話永遠にできるな(笑)。

K:確かに(笑)。話進めなきゃ。
 えっと、何が言いたかったかというと、1話の演出すごいよねっていうのはもちろんあるんだけど、これってただ映像として優れているだけじゃなくて、感覚がしっかり乗ってると思うのよ。

T:ほうほう。

K:普通に生活してるときって、あんまり景色って見えてないというか、見たものから何かを連想して考え事しながら歩いたりするじゃない。その感覚に近いなと思って。さっき話に出た“why don't you travel?”とか、100万円の広告とか、フレームの使い方とかもそう。カメラをポンと置いて撮影した感じが全くなくて、現実を見ている感じが全然しない。でも、高校生の頃とかの景色の見え方って、こういう感じだった気がするんだよね。「青春しゃくまんえん」とか「歌舞伎町フリーマントル」みたいな、ぶっ飛んだ脈絡で言葉が次々繋がっていく感じも、なんというか、若いなあと…。

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T:なるほどなるほど。言われてみるとそうかもしれない。目に入ったものがどんどん繋がっていく感じね。それでさらに被写界深度を浅くするわけだ。

K:そう。視野が狭いんですよ。*1 それで、目の前の笑顔が世界を覆い隠してしまう。これってすごく青春だなあと思うのよね。

T:2話アバンの報瀬の笑顔もそういう感じあるよね。世界を飲み込んでいくような感じ。

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K:そうそう、2話も素晴らしいよなあ…。

T:2話は無敵感がすごいよね。走るとことか感動しちゃって、次の日歌舞伎町行っちゃった(笑)。

K:(笑)。走ったの?

T:いや、さすがに走ってはないけど(笑)。中高生の時にこれ観たら走っちゃってたかもしれない。

K:それこそさ、もし今僕たちが高校生で、歌舞伎町走って観測隊員から逃げ回ってるとしてさ、そしたらもう周りの景色とか全く見えてないと思うんだよね。で、「青春だー」とか思ってめっちゃ笑っちゃうと思う。

T:確かに。その感覚が映像に再現されてるのかもしれない。背景ほとんど見えてないもんね。

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K:そう。だから、「ここではないどこか」を志向している時、「ここ」はもはや見えてないのよ。

T:名言来たゾ。

K:なんか恥ずかしいな…。まあともかく、2話の走るとこは12話に並ぶぐらいの名シーンだった。こんなにエモーショナルな映像なかなかない。

T:挿入歌の使い方が毎回卑怯なんだよなあ。キマリの「私の青春、動いてる気がする!」で『宇宙を見上げて』のサビに入るんだよ。エモすぎる。

K:挿入歌卑怯だよなあ。惜しみなく使う癖に全くマンネリ化しないのは、やっぱフィルム自体にエネルギーがあるからなのかね。あと、2話は大道具?小道具?の使い方が巧い。1話もだけど。

T:ああ。たぬきとかゴジラとか。

K:そうそう。あとグラスとか。差異で見せる演出も巧い。

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T:Kは同ポとか反復・差異が好きだよね。

K:そうかな。そうかもな。アニメ(というか映像)において、どのぐらいの時間差でカット同士をリンクさせるかって演出家の腕の見せどころだと思うんだよね。アニメーターとは違った意味での時間の創作というか、時間が規定された媒体における構成力というか…。

T:なるほど。言いたいことはわかる。

K:なんかごめん…。

「どこか」から「南極」へ

T:流れ的にこのまま3話の話する?

K:3話か…。3話はなあ…。

T:どうかしたの(笑)。

K:いや、「友達誓約書」のこと踏まえるとさ、3話って涙なしに観れないじゃない。なんかめちゃくちゃに泣いてしまって。

T:ああ、わかる。2周目で一番化ける回かもしれない。初見の時は、結月の「友達」への執着がどれほどのものかよくわかってなかったから。

K:そうそう。一つ一つの表情とか仕草とか、すごく刺さるんだよね。あと、このペースだと文字起こしの量がとんでもないことになりそうだから、ここからはちょっと軽めに…。

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T:(笑)。3話からはじめて監督以外の人がコンテ切るじゃん。*2 これ分担はどうなってると思う?普通にA/B?

K:どうなんだろうね。キャリア的に北川朋哉さんが演出見習いみたいな感じで指導してもらってるとかもありそうだけど、その辺は現場の事情がよくわかんないからなあ。そういえば北川さんは学生時代『夢』っていう作品を作ってるよ。で、『よりもい』3話のBパートに夢オチ演出があるという。

T:へぇー。処理演出でも大活躍の人だよね。2話に7話に12話。

K:そうそう。で、まあここまでが監督がコンテに参加してる回で、4話から神戸(守)さん澤井(幸次)さん清水(健一)さんと続いていくわけだけど、ここで画が監督の元から離れていくっていうのがまた大事だと思うのよね。画面全体に対するいしづか監督の支配力が弱まっていくというか…。

T:わかるようなわからんような。

K:1〜3話と4話だと、映像の質が全然違うじゃない。

T:それはあるね。テンポ感とかまるで違う。初見の時も「あ、今週はさすがに監督コンテ描いてないな」って思った。

K:そう。そこで解放されていくんですよ。1〜3話のバシバシ繋がっていく感じって、さっき言ったみたいに高校生が景色を見た時の感覚に近いってのもあるだろうし、無敵感も高揚感もスピード感もあるけど、同時に閉鎖的でもあると思うのよね。「ここ」があんまり見えてなくて、内面に寄り添ってる、一人称的な世界。それが、3話で連名でコンテを描いて、4話は神戸さんがコンテを描いて…という過程で、少し外に出る。で、キマリが「どこかじゃない、南極だって」(第4話)って言ったところで一気に景色が開ける。

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T:なるほど。そうやって「ここではないどこか」が具体的な場所になっていくと。そこまで考えて構成してるとしたら頭上がんないなあ。

決壊し、解放され、走り出す。淀みの中で蓄えた力が爆発して、全てが動き出す。

K:前にもブログにいろいろ書いたりしてたんだけど、1〜5話は監督が意図的に同ポを仕組んでると思うのよね。コンテ打ちでいろいろ指示してるのか、修正入れてるのかはわかんないけど。

T:うんうん。

K:で、同ポ率が最も高いのが教室だと思うのよ。教室でキマリとめぐっちゃんが会話するところは、大体アングルが決まってる。

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T:確かに。「代わり映えしない毎日」みたいな感覚あるかもね。

K:そうそう。それで、めぐっちゃん関連は他にも同ポが多いのよ。これが本当にすごくて、もう本当にすごい…。今日はその話がしたかった。いや前にも話したけど。

T:落ち着け(笑)。

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K:はい(笑)。要は、一人称的な無敵感を作っていた同ポ多用の画面が、ここ(5話)に来てめぐっちゃんの「淀み」に転化されるわけですよ。で、告白と作画のパワーによって、その「淀み」を一気に解放させる。だから、キマリたち4人の一人称的・思い込み的な無敵感を爆発させて、そのまま日本を飛び出すことと、めぐっちゃんの「淀み」を解放させることが、演出として一切矛盾しない。で、日本に閉塞していた画面が、一気に海外へ飛び出す。5週間かけて溜めたものが決壊して、全てが動き出す。

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T:なるほどなあ。あの独白*3 って1話の最初の最初で使われてたやつだもんね。それを5話の最後に持ってきて、その囲いを一気に解放して、閉鎖的な画作りからも解放して、日本を飛び出して、同時にめぐっちゃんも動き出すと。

K:そう。しかも〈流れる水〉のイメージを反復してもいる。恐ろしい。 

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左:1話/右:5話

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T:なるほどねえ。告白と作画のパワーでっていうとこでいうと、ちゃんとブサイクな表情芝居があるのもいいよね。5話に限ったことじゃないけど。

K:キャラデの時点で鼻の穴あるしね。記号化された「かわいい」顔じゃないのはすごくいいなあ。

T:あと、5話は出発前の感じがよかった。ワクワクと寂しさが同居したあの感じ。家を出た経験がある人なら誰でも感じたことある感覚だと思う。

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日向と報瀬、日向とめぐみ

T:さっき3話は2周目で化けるみたいな話したけど、5話6話あたりもわりと化けるよね。特に報瀬と日向の関係性。日向の過去って1周目はなんとなくそれっぽいことを想像することしかできなかったから、2周目だと結構見方が変わる。

K:確かに。この2人いろいろ対照的だからね。

T:「悪意に悪意で向き合うな」のくだりとかさ、日向は報瀬にはない強さを持ってるんだなあみたいに思ってたけど、実はそんなことないんだよね。日向には諦めグセみたいなのがあって。

K:どうしようもないものはもう仕方ないみたいな。

T:そう。そんな日向が報瀬の「あながちさ」というか、「かたくなさ」に影響されて、ちょっと変わるのが6話だと思う。

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K:確かになあ。それでいうとさ、「悪意に悪意で向き合うな」のとこのフレーム内フレームあるじゃない。

T:はいはい。

K:あれさ、1周目と2周目でわりと真逆の印象があったのよね。はじめて観た時は日向の強さみたいなものを感じたんだけど、2周目は逆だった。

T:ほうほう。

K:疎外感を感じていて、その殻みたいなものをどうにかして破ろうとしているって意味では、めぐっちゃんと日向って共通してるじゃない。で、めぐっちゃんは背を向けてるんだけど、どうにかして向き合おう、変わろうってしてる感じがするのよね。闘ってる感じ。でも、日向は逆で、堂々と構えて向き合ってるんだけど、そこから動こうとはしていない感じがする。ていうか実際、ベンチから立ち上がるシーンが描かれてない。これ、初見の時の印象とはほぼ真逆かなあと。

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T:あー確かに。こっからめぐっちゃんは「絶交」を切り出して、しかも北極行っちゃうわけだしね。

K:そうそう。まあ何が正解ってわけでもないんだけど、こういう多義性があるところって面白いよね。映画でも小説でもなんでも。 

「南極」が具体性を帯びるまで

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T:さっきまでの話踏まえると、7話はちょっと日本にいた頃の画面に戻った感じあるよね。同ポというか、船を捉えたカットを反復したり、被写界深度浅めだったり、モンタージュ的なカット繋ぎもちらほら。

K:そうね。こっからまさに南極行くぞって回だし。報瀬が机で見上げるところからのカットの繋ぎ方とか好きだなあ。あと全員バラバラの方向指すのがいい。

T:わかる。挨拶の時も、全員目的違うんだよね。でも全員南極の方向いてる。

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K:しかも報瀬の背中を押すのが日向なんだよなあ…。

T:そう! で、日向が考えた台本の言葉(「キャッチーでウィットでセンセーショナル」)を使う。あれはグッときた。アツい。

K:バラバラだけど同じ方向向いてるっていうのは、観測隊の人たちも同じよね。だから、ほら、報瀬が顔上げるとこあるじゃない。

T:はいはい。

K:ここって、まあお母さんのこととかいろいろあると思うんだけど、ここで顔を上げて観測隊の人たちを見て報瀬が感じ取ったことって、到底言葉では表せないような、どうにも言い難い感情だと思うのよ。

T:あー。ここすごい密度だよね。「3年前のメンバーが全員帰ってきた」ってことに対して向き合うっていう。

K:そうそう。美しさと暗さが同居してる感じもまた何とも言えない。

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T:で、まあ南極に向かうわけだけど、8話の飛び出すとこあるじゃん? あれどう思った?

K:ああ、外出ちゃうとこ? 普通にびっくりしたよ。「死ぬぞ」って思った。

T:だよね(笑)。でもこれもありだなって思う。不思議。

K:8話はなんかいろいろすごかったよね。観てるだけで酔いそうになった。VRとかやると結構酔うじゃん。あんな感じで。

T:わかるわかる。映画館で観たら気持ち悪くなりそう。あと、「キマリはコンパスが得意」っていうのが効いてきてる気がしたなあ。

K:確かに。ここぞって時にビシッと指差すのはキマリなのよね。

T:そう。「選んだんだよ」って。それで「南極」っていう場所が具体的になっていく。

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K:具体性を帯びてく感じはすごいあるよね。なんとなく夢に見てた世界が眼前に現れて圧倒される感じ。で、単純に景色が綺麗だから、なんかこう、すごく感動する…。入射光とかもすごくいいんだよなあ。

T:最近の水の表現ってすごいよね。確か『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の7話が放送日近かったと思うんだけど。

K:はいはい。

T:湖の上歩こうとするとこあったじゃん。バレットタイムみたくなるやつ。

K:あったなあ。あれもすごい綺麗だった。

T:あと、ちょっと前だと『宝石の国』の海とかも。…いや、話戻そう。

K:(笑)。まあ、散々揺れててずっと暗かった分、最後にパーっと開けて明るくなった時にしっかりカタルシスがあるよね、8話は。

T:そうだなあ。AパートBパートも綺麗に分かれてるし、結構手堅い構成だと思う。 

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「感染力」と「パーシャル友情」

T:結局全話コメンタリーみたいになっちゃってるけど大丈夫?

K:まあ観返しながらしゃべってたらそうなるよね。しょうがない…。9話は言いたいことたくさんあるし。

T:放送終わった時「感染力がやばい」とか言ってたよね。

K:言ってた言ってた。いやホントやばいんだよ。別に説明することでもないと思うけど、まあこの会話よね。

「貴子、わざと私とあの子2人にしようとしてるでしょ?」

「してるよ〜。だってあの子には吟ちゃんの魂が必要だから」

K:で、二重跳びっていう動作を通して、報瀬のしつこさとか、諦めの悪さみたいなものが描かれてるわけだけど、明らかにそこに吟隊長の影響があるじゃない。

T:親みたいだもんね。「感染」っていうのもすごいわかるよ。いろいろ教えたりとかもしてるけど、そういうのだけじゃなくて、もっと深いところで影響しあって感染していく感じがある。

K:そうそう。その想いの集合体みたいなのの密度がものすごくて、めちゃくちゃに泣いてしまった。貴子が「いったれー!」って言って、氷が砕けるじゃない。あそこで、ああ生きてるんだなあ、受け継がれてるんだなあと思って。

T:しっかり残って、伝染していってる。

K:そう。人ってああやって育つんだなあって思ったのよね。根本のところで響き合って、伝染していくというか。報瀬のしつこさと思い込みの強さは、「母親譲り」なんて言葉で片付けてはいけないなあと。

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© YORIMOI PARTNERS

T:じゃあ、「パーシャル友情」の話もしますか。

K:ああ。“our friend”のとこでめちゃくちゃ泣いたなあ。

T:泣いた泣いた。12話の次ぐらいに泣いたかなあ。あと、結月にメールが届いた時の報瀬の視線が気になった。2周目の発見。

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© YORIMOI PARTNERS

K:そういうとこ丁寧よね。あと10話は掃除のリズムがよかったなあ。外出てドア閉まってすぐ日向のアップになったりとかも。

T:あの辺よかったね。足で踏んでモップ絞るやつとか。カット割りのテンポ感もすごくいい。

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© YORIMOI PARTNERS

T:「パーシャル友情」ってタイトル自体の話はしなくていいの?

K:ああ。あんまりまとまってないけどなあ。
 パーシャルって冷蔵庫のパーシャルで、パーシャル丼のパーシャルじゃない。つまり凍結してるんだかしてないんだかよくわかんない、どっち付かずの状態。友情ってそういうもんなのかなあと思って。

T:報瀬が「友達なんて親子とも夫婦とも違う、ぼんやりしたもの」って言いよるもんね。口元にパーシャル丼の米粒付けたまま。

K:そう(笑)。だから多分簡単に凍っちゃうし、でもすごくフレッシュで。で、パーシャルって「大好き」っていうか、「何かを偏って愛する」っていう意味もあるから。“She is partial to Yu-Jo”ってことでもあると思うのよね。

T:おお、英文科っぽい。

K:いや、なんか違う。この話やめよう。あと英文科は翻訳しか読まなくても卒業できる。

T:そうなの(笑)。あと印象に残ってるのは、やっぱりめぐっちゃんの既読のくだりかな。

K:あれね。僕ら高校の頃まだメールだったし、LINEはじめるにも微妙に抵抗あった世代だけど、こういうのいいなあって思ったよ。

T:そうそう。「Re: Re:…」で続いてくのもいいけどね。メールの時代だと「友達ってたぶん、ひらがな一文字だ」って発想は生まれなかったかもしれない。

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© YORIMOI PARTNERS

9話,10話,11話の構成と佐山聖子コンテ

T:で、佐山(聖子)さんの11話がくると。

K:最近『あまんちゅ』で大忙しの佐山さん。

T:3週連続コンテ描いてたね。*4 そういえばサトジュン総監督になっちゃうの悲しがってたじゃん。

K:発表された時はね。でもよく考えたらすごい贅沢なのよ。佐山さんが監督で、(佐藤)恭野さんが選曲、サトジュン総監督兼音響監督。毎週幸せですよ。あんまり懐古厨みたいなこと言いたくないけど、木村隆一×加藤陽一の『ピカちんキット』と天野こずえ×佐藤順一の『あまんちゅ』観れるってすごいのよね。生きててよかった。

T:『エヴァ』はいつ公開されるんだろうな…。

K:あっ…。

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©西尾維新講談社アニプレックス・シャフト

K:まあともかく11話ですよ11話。

T:11話も泣いたなあ。すごく熱い涙が出た。友情っていいなあ。

K:いいよねえ。結月も「いいじゃないですか!友情じゃないですか!」って言ってたし。

T:そう。パーシャル友情の次にこれがくるのが最高なんだよ。

K:脚本構成的なところが9,10,11話はすごく上手いのよね。この辺は制作中に何稿も重ねてくうちにこうなったのかなあ。

T:そうなの?

K:花田さんって頭から書いてって、上手くいかないと第二稿でガラッと変えたりするらしいのよ。だから自分で全話書かないと困るというか、そういうアドリブ的な変更が利かなくなっちゃう、って何かのインタビューで言ってたはず。

T:へぇー。確かにこのあたり脚本家が何人もいるとできなかったかもね。

K:本当に見事よね。日向にとっては南極は「何にもない」ところで、「何にもないから」来た。*5 でもそれはある意味逃避でもあって、「宇宙よりも遠い場所」に来てまでしがらみに追い立てられる。でも報瀬にとっては「変える」ための場所*6 で、それは9話で示されてて、報瀬と日向がぶつかりあって、「宇宙よりも遠い場所」が前に進むための場所になる。しかも間に10話が入ってるから、「友情」ってところが補完されて、12話で報瀬も前に進めるか不安だってことが描かれて、前に進んで…。いや完璧すぎるよこれ。

T:前にブログに書いてたよね。

K:あんまり上手く書けてないけどね。

T:そんなことないと思うけど。あ、でも「ある意味世界で一番綺麗な水」を日向が運ぶことの話は、正直よくわからんかった。

K:ああ。あれは、なんて言うんだろ。日向にとって報瀬ってどこまでも真っ直ぐで、世界で一番綺麗に見えてもおかしくないと思ったのよ。綺麗すぎて重たい。少なくともあのシーンでは。だから「手だけでいい」って言って、やっぱり日向はちょっと距離を置こうとして、おどけて見せたりもするんだけど、でも手を通して痛みが報瀬に伝わってしまうっていう。この〈綺麗〉〈重い〉〈痛い〉のやり取りの密度がすごいなあって思った。

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© YORIMOI PARTNERS

T:なるほどねえ。確かにすごい密度だ。11話っていろいろすごいんだよな。これ話続けて大丈夫?

K:大丈夫。最初に1〜5話とか言ったけど他の話数も言いたいこといっぱいあるし、いやむしろ他の話数の方があるかもしれないし、全部言っちゃおう。

T:よっしゃ。日向の過去を語るとこあるじゃん。あれ、帽子をかぶりながら無理矢理笑うっていう芝居がすごいのもあるんだけど、普通に語るんじゃなくて、ヘリに乗ってる時の回想って形にしてるじゃんね。

K:はいはい。

T:これ、結月が高所恐怖症で頭を抱えてるっていう画自体が、重たいニュアンスをしっかり補強してくれてて、こういう視聴者心理に寄り添った演出すごくいいなあって思ったんだよ。どこまでが意図されたものかはわかんないけど。

K:ああ確かに。巧いなあ。全員別々の方向向いてるのとか、ヘリの無機質な内装とかも重たいニュアンスあるし。

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K:あとやっぱりラストかな。あれはもう…。

T:熱いよなあ。

K:初見のときはボロボロ泣いてわけわかんなくなってたんだけど、2回目観てみると気づくこともあって、これ日向から見た時だけ報瀬が上手かみてにくるようになってるのよね。話しはじめたときは下手しもてで、「私は日向と違って性格悪いから〜」で上手になる。こういうのすごく丁寧で、だからこそ伝わる画になるんだろうなあ。

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言うことなしの12話

K:さて、12話なんですけど、もう言うことないよね。

T:何か言うのも野暮なんだよな。人それぞれ心に響くものがあるでしょうってことで。

K:ずけずけと出てってあれがどうこれがこうとか説明するのもなんか違う。

T:まあでもね、重要な回だからね。

K:そうねえ。コンテの分担とかどうなってると思う?

T:どうなんだろ。『リトルウィッチアカデミア』の最終回は全体の流れに関わるとこを吉成(曜)さんが描いてて、かっこいいとこは今石(洋之)さんって話あったじゃん。そんな感じじゃないの。

K:まあそれが自然か。全体に関わる重要なところをいしづか監督が描くと。

T:そうそう。

K:えっと、これもう結論めいた話になってくるんだけど、12話って結構ドキュメンタリータッチなのよね。ドキュメンタリーは言い過ぎかもしれないけど、手持ちでカメラを持って振ってるような感じがする。

T:確かにね。劇伴もちょっと少なめだし。まあシナリオ的にそうなるってのもあるだろうけど、1話からちょっとずつそういう、三人称的な感じ?の画作りになってる気はするよ。12話は手ブレがすごいとか言ってたよね?

K:うん、言ってた。最後の探し回るとこね。心の揺れ動きの表現と、ドキュメンタリータッチのリアルさが共存してて、すごいなあと思って。こういうマジックってアニメでしか起こらないと思うから。FIXとPANを基準にすればって話にはなるけど。

T:そうかもね。実写的なカメラワークを取り入れることと感情を画に乗せることが同時に達成されてしまうと。

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K:そうそう。まとめてくれて本当助かる。あとは、「このセリフが〜」とか「報瀬のメールが〜」とか言い出すとキリがないんだけど、その辺に言及するのはやっぱり野暮かなあ…。

T:ていうか12話観てから会話のテンション下がってるよね、いい意味で。

K:うん。仕方ない。そういうもんだよ。

T:13話もあんまり言うことないなあ。髪切るのとか、吟隊長がメール送るのとか、「知ってる」とかいろいろあるけど、これも言及するの野暮な気がする。

K:そうねえ。じゃあまとめますか。

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「現実の中に奇蹟を追うこと」

K:はい。じゃあまとめなんですが。

T:はい。

K:被写界深度の話したかったんだけど、改めて13話観ると結構ボケボケのカットもあるから、その話はあんまりできないのよね。

T:そうなの(笑)。それにしても1話2話のぼかし方が一番過剰な気はするけどね。ほら、自転車置き場のとことか。

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K:それもそうか。じゃあその話すると、この前もっともらしく安吾を持ち出して変な文章書いたんだけど。もう消したんだけど。

T:はいはい。

K:まああれですよ。1〜5話の構造の話したじゃない。要はあれのことなんですよ。安吾『青春論』に「現実と直接不離の場所にある奇蹟」って言葉があって、これがぴったりだなって思って引用したんだけど。「思い込み」みたいなもので奇蹟を信じてしまって、それを追って飛び出してしまう。そういう無謀な力が人を一歩前に進める、っていう。だから、1話からものすごい勢いで加速していって、徐々に夢見ていた景色が具体的になっていって、最後は見慣れちゃったねみたいな。

T:なるほどなるほど。13話の旅の終わり感すごいもんね。「すっかり慣れちゃいましたね」って言いよるし。

K:そう。だから、ある意味失恋なんですよ。知らない景色って見てしまったら知ってる景色になるわけだから。この辺ホント上手く言えないんだけど。

T:日向みたいなこと言うなあ(笑)。まあでもわかるよ。要は最後の独白のとこでしょ。

K:そうそう。「旅に出て、はじめて知ることがある」からのあのセリフ。*7 あの感覚がまんま映像として表現されてるように思ったのよね。1話2話と12話13話だと、映像の質が全然違うなと思ったから。

T:なるほどねえ。

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K:で、それをさらに広げると、やっぱ「思い込み」だよなあと。「しつこさと思い込みの強さ」。

T:「思い込みだけが現実の理不尽を突破し、不可能を可能にし、自分を前に進める」と。

K:そうそう。雲もそうよね。「掴めないのに、上見るといつもそこにある」。そういうものを追いかけて、誰に何と言われようと追いかけて、もうそこしか見えなくなっちゃって。それで氷を砕きながら「宇宙よりも遠い場所」まで必死に進んで、そうやって「ざまあみろ」って言ってきた人たちが誰も踏んでない場所に足跡をつけてきたんだろうなと。

T:あーわかってきた。1〜5話の感じは確かに「思い込み」って感覚あるなあ。あと、かなえさんの「大人はね、正直になっちゃいけない瞬間があるの」ってセリフがすごい好きなんだけどさ。

K:はいはい。

T:これも同じかもしれない。正直になっちゃったらもうバカみたいな、現実味のない話なんだけど、それでも無理に嘘を吐き通して、何が何でも前進するぞっていう。

K:確かに。すごいなこれ…。

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「きっとまた旅に出る」

K:で、まあ“Best wishes for your life's journey!”で終わるわけだけど、今話してたみたいなこと全部ひっくるめて「人生の旅」なんだと思うのよね。遠くに足を運ぶかどうかは関係なく、「思い込み」から飛び出して、何か違う景色を見て、そしたら何か変わってる。ちょっと前に進んでる。人生ってその繰り返しだと思うし、それってすごく青春じゃんって。年齢とか関係なく。

T:『よりもい』は形のあるものにあんまり重きを置いてないもんね。「しゃくまんえん」も置いてきちゃうし。こことかすごくそう。

そしてわかった気がしました。母がここを愛したのは、この景色と、この空と、この風と同じくらいに、仲間と一緒に乗り越えられる、その時間を愛したんだと。

K:そう。だから「きっとまた旅に出る」んだよ。「どこまでいっても世界は広くて、新しい何かは必ず見つかるから」。で、その時間ってすごくかけがえのないものだよねっていう。

T:青春だ…。

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K:じゃあ、今日は本当にありがとうございました。最後に何かある?

T:えーっ、そうだな。あっ、監督が花澤(香菜)さんに“報瀬ちゃんは「残念美人」”って言ってたって話が好きです(『ニュータイプ』2017年2月号)

K:はい。ありがとうございました。

 


 


*1:ここの会話は、『アニメスタイル007』の『響け!ユーフォニアム』についてのインタビューを前提にしています。

小黒 被写界深度の話に戻りますが、被写界深度の浅い画と、パンフォーカスで手前から奥までよく見える画では、表現できる事が違うはずですよね。「青春ものをリアルにやる」という作風には、今回の画作りが向いていた気がします。
山田 そうですね。青春の、視野の狭さと。余裕のない瞳孔の開いた感じと。
石原 「そこしか見ていない時の感じ」ですね。被写体を画面から浮き立たせたい場合に、被写界深度を狭めてそこだけ映す。ただ今回はキャラクターが多かったので、ひとフレームに収めなければならないシーン等では必然的にパンフォーカスになる事もありました。

「真っ向勝負で作った「青春アニメ」」『アニメスタイル007』より

*2:『宇宙よりも遠い場所』各話リスト(Wikipedia)
(別窓でこれ開いてた方が読みやすいかもしれません)

*3:

淀んだ水が溜まっている
それが一気に流れて行くのが好きだった
決壊し、解放され、走り出す
淀みの中で蓄えた力が爆発して
全てが、動き出す

*4:この会話をしているのは、『あまんちゅ!〜あどばんす〜』が第4話まで放送された時点。現時点(2018年5月19日)では5週連続でコンテを切っている。

*5:「私がさ、何で南極来たと思う? 何にもないからだ! 何のしがらみもない人と、何にもないところに行きたかったんだよ。」

*6:「帰ってくるのを待っていた毎日とずっと一緒で、何も変わらない。毎日毎日思うんです。まるで帰ってくるのを待っているみたいだって。変えるには行くしかないんです。お母さんがいる、「宇宙よりも遠い場所」に。」

*7:

旅に出て はじめて知ることがある
この景色が かけがえのないものだということ
自分が見ていなくても 人も世界も変わっていくこと
何もない一日なんて 存在しないのだということ
自分の家ににおいがあること
それを知るためにも 足を動かそう
知らない景色が見えるまで 足を動かし続けよう
どこまでいっても 世界は広くて

新しい何かは必ず見つかるから
ちょっぴりこわいけど きっとできる
だって
同じ想いの人は すぐ気づいてくれるから

『リズと青い鳥』公開記念舞台挨拶 スタッフトーク 諸々感想・雑考

 朝食にフレンチトーストを食べるというだけのことで、際限なく話が続いてしまう。なんとなく手を背中に回してみたり、足の位置を組み変えてみたり、爪先を少しだけ曲げてみたりする。『リズと青い鳥』に描かれていたのは、そういう青春模様だったのだと思います。少しくうろ覚えではありますが、舞台挨拶で山田尚子監督が「“撮るよ”と言ったらきっと希美たちは隠れてしまう」というようなことをおっしゃっていました(一体この人にはどう世界が見えているんだ)。意図や解釈が介入してしまったら絶対に捉えられない瞬間を、90分のフィルムにギュッと閉じ込めている。その意味で、『リズと青い鳥』は本当に奇跡的な作品だと思います。

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©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

 そうして見守るような距離感で淡々と紡がれている本作ですが、全体的に被写界深度は浅く、一人一人の心情にもしっかり寄り添っています。この主観と客観のバランスがまたどこまでも緻密で、入り込み過ぎず、出過ぎない。こうしたフィルムの作り自体もまた、定量的な解釈の一切を拒んでいるようにみえます。

 舞台挨拶では、監督自ら作詞をされたエンドクレジット曲『girls,dance,staircase』についても少し触れられていました。確か「名前を付けられない感情を描きたかったので、区別の付かないボーイソプラノにした」というような話だったと思います。

 まだ性が未分化で、何者でもないし、何者にでもなれる。少し触れるだけで大きく揺れ動き、ともすれば壊れてしまう。そして時間が経てば失われてしまう。ここには『リズと青い鳥』で描かれていたものが、驚くほど明瞭に要約されています。

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©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

 何より驚かされたのは、「最後の“ハッピーアイスクリーム”だけ唯一2人の足音が揃う。これは狙ってやったのではなく、全くの偶然」という話です。

 こういう偶然は、実は身の回りに溢れているのかもしれません。でも、意図してフィルムに収められるものではない。「撮るよ」と言ってしまったら、絶対に捉えられない。そんな瞬間が「創作」ではなく「偶然」としてこのフィルムに介入したことは、ちょっと怖くなってしまうぐらい奇跡的です。*1

 未分化でどっち付かずで、意図も解釈も何もなく、記録に残すことのできない世界。そこで響く足音はきっと、熱の入った合奏と等しく「音楽」になり得るのでしょう。少女が階段を登り、靴音が響き、窓からやわらかい光が射し、スカートがそっと翻る。そんな一瞬の奇跡と名前のない感情を捉えたフィルムとして、『リズと青い鳥』は世界で唯一のものかもしれないと、そう思えてきます。

 


5/11追記

山田尚子×牛尾憲輔 スタッフトーク付上映会に行ってきたのでちょっとだけ追記。細かいレポートはナタリーMANTAN WEBに上がってるので割愛します。

まず何より希美とみぞれの間を人が横切るカット。音響はもちろんのこと、唐突に突き放すようなポン引きといい、希美とみぞれの間に他の人が介入するという象徴性といい、1カットにすごい力がある。あの浮いた感じは多分劇場でしか体験できない。作劇としても大きなところなので、かなりこだわってるのだと思います(監督の推し方からもこだわりの強さが伺える)

あと、記憶違いだったら申し訳ないんですが、図書室で本を返却するシーン。「カメラがみぞれの足元を写していて、下手[シモテ]から希美の足がフレームインする」という描写が2回ほどあったと思うのですが、1回目はみぞれの視線移動に近い感じで左にカメラを振る。対して2回目は希美に押し出されるように右にカメラを振る。ここに希美の望むハッピーエンド(「また会いにくればいいと思うんだよね」)が表れてるような気がしました。
希美はリズだけど青い鳥でもあるし、結局はそのどちらでもないといいますか、『リズと青い鳥』は希美とみぞれの話であって、リズと青い鳥の話ではないといいますか——何にせよこの映画は固定された「意味」や「解釈」のようなものを徹底して拒んでいる、と思います。

結末を知った状態で再見すると希美の仕草や視線の一つ一つが刺さってくるようで、なんだか上手く言葉になりません。

 


*1:実写とアニメーションの違いを一概に定義することは難しいと思いますが、アニメーションには基本的に偶然が介入しない、ということは言えると思います。実写は1秒間に24枚なら24枚、自動的に(均等に)シャッターが切られますが、アニメーションは何秒で(何コマで)一歩歩くとか、何mm被写体を動かすとか、そういうレベルで意図が介在しますノーマン・マクラレン『隣人』はアニメーションです)。だからこそアニメーションは作為的でない描写ができると言うこともできますが、それは裏を返せば作為的に見えないように意図して創作しているということです。