cubic in another

cubic in another

アニメの感想など

『秘密の空をめぐって』委託販売のご案内

「芸能人はカードが命!」第14回で頒布したアイカツ考察本『秘密の空をめぐって』の委託販売を、BOOTHにて行っています。A5版、70ページ。価格は本体価格(500円)と送料(180円)を合わせて680円になります。よろしくお願いします。

再現と創作の境界を越えて:『恋は雨上がりのように』第7話

恋は雨上がりのように』第7話、店長の詩的なセリフが何より素晴らしく、近藤役の平田広明さんと、「監督の依頼をいただいて、すぐに思い浮かんだのが平田さんだった」*1 という渡辺歩監督には、ただただ敬服するばかりです。*2 というところで、あのセリフの前のシークエンスを中心に、今一度『恋雨』の画作りについて考えてみたいと思い立ちました。

 

 以前*に“絶えず両極に振れ続ける「恋」のリアリティ”という言い方をしましたが、その中で第7話は、「現実」を問題としない方向へと振り切ったような感がありました。中年・バツイチの生々しい生活感を映し出したカットも、「恋(と呼ぶにはあまりに軽薄なもの)」によって浸潤されていく。あの圧倒的なシークエンスを貫いていた図式は、そういう類のものであったと思うのです。

f:id:hitotosem:20180223230216j:plain

 © 眉月じゅん小学館/アニメ「恋雨」製作委員会

 驚かされたのは、ハーモニーや水彩画調の止め絵、雨粒の影、パーティクル——これまで使われていたあらゆる撮影効果が総動員され、無類の鮮度を生み出していたこと。『恋雨』の画に見慣れてきた今だからこそ、描かれたものが洪水のようになだれ込んでくる。本当にとんでもない作品です。

f:id:hitotosem:20180223235346j:plain

© 眉月じゅん小学館/アニメ「恋雨」製作委員会 

 特筆すべきは停電の後のシークエンスでしょう。フェードアウトしていた外の環境音を一瞬だけ入れ、すぐに劇伴のみの音響に戻る。雷が落ちても音は鳴らず、カーテンの奥の雷光を受けて、あきらのシルエットが浮かび上がる。ここにおいて「環境の再現」と「演出的創作」の境目は蒸発し、雨粒の影もパーティクルも、玄関に立てられた2本の傘も、全てがモンタージュに飲み込まれていくことになります。この「現実」でも「幻想」でもない圧倒的なリアリティを「恋」と呼ぶのは、あまりにも軽薄というものでしょう。

 このフィルムに現れていたものは、近藤が過去に置いてきた「若さ」であり、あきらの胸からどうしよもなく溢れ出てくる「恋心」でもあるわけですが、そんな「乱暴で凶暴」なものに対して、近藤は「その時に感じた感情というのは、いずれかけがえのない財産になる」と言います。これは、私たち視聴者にも言えることではないでしょうか。「作品」と呼ばれるあらゆるものを通して一瞬だけ垣間見れる、追体験の叶わない刹那的な美しさ。もちろん、観返せば観返しただけ、読み返したら読み返しただけ、新たな出会いがあるわけですが、それも全て再現性のない、いま・ここにしか生起しえない感情です。もちろん言葉に留めておけるものでもありません。でも、その一つ一つがきっと「いずれかけがえのない財産になる」。『恋雨』を観ていると、不思議とそう思えてくるのです。

 


恋は雨上がりのように 第7話 迅雨(じんう)

[脚本:赤尾でこ/絵コンテ:二村秀樹/演出:丸山由太、河野亜矢子、赤松康裕/作画監督門脇聡、西原恵利香、奥田明世/総作画監督門脇聡]

 


*1:ニュータイプ』2018年2月号

*2:あのセリフ原作にはないそうなんですが、赤尾でこさんが書いてるんでしょうか。声に出して映像に乗せるということを前提に言葉を並べてるような感じがします。

『からかい上手の高木さん』OPと出合小都美さんのOP・ED演出についてのメモ

 

 出合小都美さんが絵コンテ・演出を担当している『からかい上手の高木さん』のOP映像、丸いレンズフレアがフィルム全体を包み込んでいるような感触があり、大原ゆい子さんの優しい歌声も相俟って、素晴らしい映像に仕上がっています。

 このやわらかい空気を支えているのは、恐らく円形のモチーフ。パーティクル等も含め、角のないやわらかいイメージが、それとなしに優しく積み重ねられています。

f:id:hitotosem:20180222135319j:plain

©山本崇一朗小学館 からかい上手の高木さん製作委員会

 何とも素晴らしいのが最後のロングショット。積み重ねてきたものがここに結実し、レンズフレアが優しく2人を包み込む。素敵な余韻を残してくれます。

 


 代表作といっても過言ではない『神のみぞ知るセカイ』のOPや、個人的に好きな『Robotics;Notes』2クール目のEDなどなど、出合小都美さんが手掛けた映像はどれも素晴らしいものばかりですが、昔のものはいろいろなところで記事にされていたり、動画としてまとめられていたりするので、ここでは比較的新しいものを2つほど、メモ程度に記しておこうと思います。

 

赤髪の白雪姫』2ndシーズンED『ページ~君と綴る物語~』

f:id:hitotosem:20180222151655j:plain

©  あきづき空太白泉社/「赤髪の白雪姫」製作委員会

 線画の白雪に色が付けられ、流線が登場人物の間を繋いでいく。例に漏れずイメージ・モチーフの重ね方や色使いが丁寧で、限られた枚数で『赤髪の白雪姫』の世界観を表現しきった素晴らしい映像だと思います。

 

甘々と稲妻』ED『Maybe』
f:id:hitotosem:20180222150026j:plain

© 雨隠ギド講談社/「甘々と稲妻」製作委員会 

「窓」「雨」「眠っているフリ」など、歌詞の中にあるイメージとの連携が上手く、目にも耳にも自然に入ってきます。*1 つむぎがクレヨンで描いたようなエフェクトが微笑ましい。

 


 OP・EDの演出は、物語を画に乗せる本編の演出とは異なり、1分半程度の限られた尺の中で、作品の色を明確に表現しなければなりません。本編の象徴的なシーンや、イメージ・モチーフなど、あらゆるものを駆使しながら、曲調や歌詞との親和性も考えて映像を設計する必要があります。その辺り、出合小都美さんの作品はどれも素晴らしく、楽曲の持つイメージも含めて映像に息づいているようなものばかりです。

 


*1:『高木さん』でも、「風に揺らされるカーテン」のところで花が揺れる

複数軸のフロウ:『スロウスタート』第7話

 舛成孝二さんが絵コンテを切った『スロウスタート』第7話は、〈栄依子×先生〉と〈花名×栄衣子〉——この2つ関係性の変化を軸に構成されていました。互いに干渉しあいながらゆるやかに変化していくこの2つの関係性は、言語化されていない「画」であるからこそ美しいという面も大いにあるのですが、せっかくなので少し言語的に補助線を引いてみたいと思います。

 

 まずは〈栄依子×先生(榎並清瀬)〉の方ですが、最初に目につくのは位置関係の変化ですね。学校が舞台になるAパートでは、先生は常に上手側。CMをはさんで先生の家へと舞台が移り、そこではじめて(わざとらしくない程度に)位置関係が変わる。そして、終盤の学校のシーンにくると、Aパートと反対になっている。言葉にまとめてしまうととてもシンプルな構成ですが、こうして作為的にみえない程度に位置関係が整理されていると、物語の流れが自然に入ってきます。

f:id:hitotosem:20180220212658j:plain

©篤見唯子芳文社スロウスタート製作委員会

 このことに関連して面白かったのが、栄依子が先生の家を出るシーン。方向性が統一されているので、「勝ち試合だと思ったら最終回で逆転食らったみたいな感じ」が綺麗に入ってくる。それでいて、上手・下手の関係を明示するようなわざとらしさが避けられているところが、やはり見やすく丁寧です。*1

f:id:hitotosem:20180220212853j:plain

©篤見唯子芳文社スロウスタート製作委員会

 

 そして、〈花名×栄衣子〉の方ですが、栄衣子個人というよりは花名と3人の関係性、つまりこの作品自体の軸になっている部分ですね。

 話が前後しますが、今回の第7話はAパートの尺が7分強と少し短め。その中で、キャラクターたちがいつにも増してぬるぬる動いている印象がありました。

f:id:hitotosem:20180220222744g:plain

©篤見唯子芳文社スロウスタート製作委員会

 対してBパートは(先生宅でのシーンも含めて)比較的抑えめ。全体を通して〈動→静〉へと流れていく構成になっています。

f:id:hitotosem:20180220214052j:plain

©篤見唯子芳文社スロウスタート製作委員会

 そんな中でのこのシーン。2人の間の自然な距離感が映像として丁寧に切り取られていて、上に引用したレイアウトだけみても素晴らしいところですが、このシーンを光らせているのは、やはり1話数の中での対比なのだと思います。

 つまり、Aパートで先生に言われた「お前らが仲良くなったってことだろ」というセリフの回想によって、落ち着きなく動き回っていたAパートが、花名にとっての「仲良くなった」証拠へと不意に転ずる。だからこそ、この「静」のシークエンスが活きてくる。これを別の話数にしてしまったり、直接隣り合うシーンとしてくっつけてしまったら、恐らくこれほどの効果は得られません。2つの軸を同時に展開し、そこに時間差を付けたからこそ、物語に流れる感情の波が自然に入ってくるのだと思うのです。

f:id:hitotosem:20180220214250j:plain

©篤見唯子芳文社スロウスタート製作委員会

 フレアの入れ方や被写界深度のつけ方も素晴らしく、彼女たちの友情の美しさがそのまま画面に表れているように見えます。秘密はまだ秘密のままですが、確実に一歩、距離が近づいた。その大きな一歩を30分かけて「ゆっくり」と描いた、素晴らしいエピソードでした。

 

 


スロウスタート STEP.07 ぐるぐるのてくび

[脚本:井上美緒/絵コンテ:舛成孝二/演出:篠原正寛/作画監督:河合拓也/総作画監督:安野将人]

 


*1:余談ですが、先生がシャワーを浴びている時間を15秒足らずで表現したこのシークエンスが素晴らしい。コーヒーメーカーの音も良い味出してる。

f:id:hitotosem:20180220213831g:plain

©篤見唯子芳文社スロウスタート製作委員会

『ダーリン・イン・ザ・フランキス』のシネスコ演出が好きという話

ダリフラ』でシネスコ演出が使われているシーンが今のところ(第5話まで)全てヒロとゼロツーのシーン*1 であることに、何か特別な意味があるのかはわかりませんが、シネスコサイズで切り取られた2人の姿はいつもどこか情動的で、興奮と哀愁の入り混じったような独特の感情を喚起します。そこにあるのはある種の「快楽」であるといってもいいかもしれません。

f:id:hitotosem:20180215235454j:plain

©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会

第1話「独りとヒトリ」

 回想でもないのに急に画面サイズが変わると、基本的にその映像は「映画っぽく」なります。これはシネスコだからという意味ではなく、急に画面のサイズが変わると、それまで「フィクションの中での本当の出来事」として受け取っていたものが、突として映画っぽく(フィクションっぽく)なる。なんとなく後ろで映写機が回っているような感覚になる。恐らくここが『ダリフラ』におけるシネスコ演出の肝なのだと思います。

f:id:hitotosem:20180215234435g:plain

©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会

「ねぇダーリン、逃げちゃおっか、ボクと一緒に。ボクならダーリンを連れ出してあげられる」

第3話「戦う人形」

 設定に謎が多く、既に考察班もちらほら現れはじめている『ダリフラ』では、私たちにとって世界観や設定が謎であるのと同じように、作中に登場するコドモたちにとっても、多くのことが謎に包まれています。そんな世界で、ヒロとゼロツーの出会いはどれほど特別なことなのか。ゼロツーやストレリチアは、どれくらい特異な存在なのか。全くわからない。けれど、ヒロとゼロツーの出会いは「物語」になる。この謎だらけの世界で、彼らは「主人公」になれる。この感覚は、端から彼らを「主人公」としてみている私たちに無条件に与えられている感覚であると同時に、ヒロ自身の胸の内にある感覚でもあるのだと思うのです。

f:id:hitotosem:20180215235620j:plain

©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会

第4話「フラップ・フラップ」

 だからこそ、「落ちこぼれ」を「特別」に変えたボーイ・ミーツ・ガールを、外から映像を眺めているかのように切り取ってみせる。誰よりも特別な「主人公」であるかのように、作中世界から一歩引いてみせる。このいかにも思春期的なポエミーな感覚は、突き詰めると危険なものでもあるのかもしれませんが、映像としてはやはり「快楽」じみたものを内包しているように感じます。何と言っても、ここでは閉塞感と解放感が互いに矛盾しない。だから謎の多い設定と、上下を削ったシネスコサイズが生きてくる。

f:id:hitotosem:20180216000556g:plain

©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会

第4話「フラップ・フラップ」

 放送直前特番で錦織監督が「ガチガチのロボットものよりは、もう少しセカイ系に振った」と言っていましたが、その配分が上手いのでしょうね。アニメのためのアニメという感じがして、好き嫌いは分かれるのかもしれませんが、たまにはこういうのもいいなあと思います。このある種発作的な揺動が、今後いかに描き込まれていくのか、どう転ぶかわからないところもあり、非常に楽しみです。

f:id:hitotosem:20180215235656j:plain

©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会

第5話「キミの棘、ボクのしるし」 

*1:第1話のアバンについては確定できませんが。