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【進撃の巨人】生類視覚効果という心理描写

 『進撃の巨人』Season2の放送がはじまりました。第1期から4年弱。『甲鉄城のカバネリ』の制作も経て、映像技術は大きく進歩を遂げたように思います。なんといってもあの緊迫感。ついつい入り込んでしまって、ただの2Dの四角い画面とは思えないほどの迫力があります。今回はその技法の話です。

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 技法の話をするにあたって、まずは日本のアニメの特徴について少し言及しておきたいと思います。詳しくは高畑勲氏の「60年代頃の東映動画が、日本のアニメーションにもたらしたもの」という論文に、3コマ撮り、止め絵の多用などの「欧米とは異なる日本的娯楽アニメーション」の性質や、作画監督制をはじめとした「メインスタッフ中心主義」的な「日本型作画制作システム」などなど詳しく書かれていますので、興味のある方はそちらを読んでいただければと思います。大塚康生著『作画汗まみれ』(文春ジブリ文庫)に収録されています。

 ここで取り上げておきたいのは日本のアニメには演技が少ないということと 、視点が近く主観的であるということです。ここでいう演技とは役者の演技ではなくアニメーターの演技、すなわち動きによってキャラクターの特徴を描写する演技のことです。簡単に言ってしまえば、日本のアニメは動かないということですね。

演技に関しては、人間中心の内容や感情移入しやすい主人公作りという側面だけではなく、欧米に比べて表情・身振り・言葉など、あらゆる面でもともと平板で抑制的な日本民族の性格を反映し、日本人を描く作品でなくとも、アメリカンアニメーションの特徴である過剰な流動感や、台詞と結びついた誇張の大きな動きはあまり取り入れなかった。また、主人公でなくとも、アメリカ型の誇張演技は日本製のキャラクターや日本語には似合わなかったし、あまりにわざとらしく感じられた。〈中略〉そして作画枚数節約の至上命令のもとに、①動きの基本は三コマ撮り(一秒間八枚で動きを作ること)、②止め絵多用、③止め絵口パク三枚による台詞が一般化し、緻密な動き・演技よりはいかにカッコイイポーズを描くかが要求されるようになる。

『作画汗まみれ』(文藝春秋、2013年、363-364頁) (太字筆者)

 動かすと枚数が増えるので、当然作画の負担も増えるということになります。ところが、上半身や顔のアップで口だけを動かせば止め絵1枚+口パーツ3枚で済む。しかも、あまり動かない絵の方が日本製のキャラクターには合っている。そうして「緻密な動き・演技よりはいかにカッコイイポーズを描くか」を追求していくと、必然的にカメラは近くなり、遠くに構えたカメラでキャラクターの全身の動きを客観的に捉えるということは少なくなっていきます。*1

 試しに『白雪姫』を見てみましょう。全体的に流動的で動きが細かく、カメラが遠い感じがしませんか。

 逆に日本のアニメは、全体的にカメラが近く、キャラクターの動きに連動した主観的なカットが多いということがおわかりいただけるかと思います。*2 まあ『白雪姫』と『進撃の巨人』を比べるのもどうなんだという感じはしますが…。

 

 また高畑勲氏は、安易に作品世界に没入させ、主人公に感情移入させようとする日本のアニメの傾向に対し、警笛を鳴らしてもいます。

アメリカ随一の宮崎ファンを自称するジョン・ラセターの『トイ・ストーリー2』やブラッド・バードの『アイアン・ジャイアント』、さらにはニック・パークの『ウォレスとグルミット』の連作など、極上質の娯楽作品がハリウッドその他で生まれはじめている 。これらは、見る子どもたちが超人的な主人公に直接感情移入する(自分が主人公になった気分で作品の世界に没入する)のではなく、他者としての主人公に〈思いやり〉的に感情移入する作品であって、その主人公との適度な距離が「笑い」をも呼び起こすのである。

 現実世界の代用品として、のめり込むように映像を見ることの多い日本の子どもたちの異常な現状を考えるとき、これらの海外作品の示す傾向から深く学ぶべき時が来ているのではなかろうか。

『作画汗まみれ』(374頁) (太字筆者)

 大分かいつまんだ引用になってしまいましたが、あまり長くしすぎると本題に入れなくなりそうなのでこの辺にしておきます。上に見た日本のアニメの特徴の是非を論じるつもりもありません。ともかく「緻密な動き・演技」より「いかにカッコイイポーズを描くか」を追求し、近いカメラで主観的に「作品の世界に没入」させること。こういったことが日本人の性分に合っていて、予算の節約にもなり、毎クール何十本もアニメを量産することを可能にしているということは事実なわけです。

 で、『進撃の巨人』みたいな作品をアニメ化する際は、いかにして作品世界に没入させるかが大きな課題になってくる。間違っても「主人公との適度な距離」なんて感じさせてはいけないわけです。そこで重要な役割を果たしているのが、『甲鉄城のカバネリ』のメイクアップアニメーターを受け継いだ、生類視覚効果という役職です。

 生類視覚効果の基本的な仕事はディテールを盛ること。影や色を加えたり、手描きで毛のブラシを追加したり、目の血管とか細かく描き入れちゃったりする。それが生類視覚効果のお仕事です。『アニメージュ2017年3月号』に生類視覚効果班長の山崎千恵さんのインタビューが載っています。視覚効果を入れる前と後との比較画像も何枚か掲載されているので、気になった人は買ってください。

—どんな映像の方向性を目指して作業を?

山崎  巨人がそこにいる感覚ですね。きっと目の前に巨人がいたら、嫌だと思うんです(笑)。その本能的な嫌悪感、見たくないものを調査兵団のみんなは直視しなきゃいけないわけで。

ーその感覚を、観客にも共有させるように?

山崎  そうですね。近くにモノがあると細部まで見えますよね。たとえば机の木目は遠くからだと見えないけれど、近くに寄ればよるほどよく見えるようになります。そういう感覚でディテールを描き込むことで、巨人が本当に目の前にいると感じてもらえるように。

アニメージュ 2017年3月号』(53頁)

 これは、日本のアニメだからこそ生まれた発想だと思います。「現実世界の代用品として、のめり込むように映像を見る」ことを前提に、止め絵の迫力で勝負しているわけです。興味深いのは、近くに寄った感じを出すためにディテールを描き込んでいるということ。ここにはある種文学的な技巧を見ることができます。

凡庸な作家たちが一体に心理描写を好むのは、それがまた、人生ときわめて親和的な要素だからではある。われわれも、凡百の作中人物と同じく、あれこれ心に呟きながら現実を生きているわけです。ところが、いわばテクストに固有の現実というものに目を凝らすと、その凡庸な親和性がやはり、たちどころに瓦解する。すなわち、「彼は心ひそかに××と思った」と書くやいなや、その「××」は、もう心内の秘密ではなくなってしまう。それはすでに、読者によって読み取られているわけですから。したがって、心の中の言葉を秘匿されたものとして書くというのは、それ自身非常に矛盾しているわけですよ。

渡部直己『小説技術論』(河出書房新社、2015年、284頁) (傍点を太字に置換)

 これとは少し違うことですが、映像においても何かが視聴者に見られているということは、 作品世界の物理的なリアリズムを超えた影響力を有しています。人間と巨人の戦いを少し離れたところからカメラが捉えているような構図であっても、細部まで細かく描かれ、見えているということによって、私たちは近寄った感じを与えられるわけです。

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 ですから、全篇一人称で書かれた小説でなくとも、対物描写は得てしてそのまま心理描写になり得る。「これは誰々の目線から見た巨人だ」などということを明示しなくとも、描かれているということ自体が映像と視聴者との関係において、キャラクター達の心情を表すことになるのです。カメラと対象の物理的距離は、ここでは問題ではありません。客観と主観の区別自体が消滅した、映像(テクスト)に固有の現実というものがそこには展開されている。そして気づけばそこに入り込んでいる。『進撃の巨人』に感じるある種の立体感はそういうものだと思うのです。*3

*1:3DCGアニメーションが日本に普及しないことも「平板で抑制的な日本民族の性格を反映」しているのかもしれません。

*2:この辺りのことは、叶精二著『『アナと雪の女王』の光と影』(七つ森書館、2014年)に、ピクサーが日本から受けた影響なども含めて詳しく書かれているので、そちらを参照していただければと思います。

*3:「他者としての主人公に〈思いやり〉的に感情移入する作品」も、少なくとも2017年現在の日本にはいくつかあるように思うのですが、その一つが今年公開された『映画プリキュアドリームスターズ!』です。登場人物たちがこっちの世界に語りかけてきて、観客を否応なく巻き込んでいくわけですが、3つのプリキュアそれぞれの世界と桜が原を行ったり来たりすることもあって、劇中世界と現実世界の区別ははっきりしていました。(私たちのいる世界を遭遇し得る世界の一つとして位置付けていた、といった方が的確かもしれません。)「笑い」の要素も多分に含まれていたと思います。こういう子ども向けの作品は確かにもっと必要かもしれません。

3つの星と新しい輝きのメロディー (トライスター編を振り返って)

 トライスター編は、誤解を恐れずに断言すれば、異質です。『アイカツ!』全体を通してこれほどシリアスなエピソードは他に例がありません。木村監督は「コメディーはコメディーでも、重たいコメディーにはしたくないと思って、すみずみまで気を使いました」*1と言っているのに、トライスター編ははっきり言って重たい。神崎美月が悪役として嫌われてしまう可能性だって考えられるし、トライスター結成後の忙しさの演出も、蘭の退寮や深夜まで続くレッスンなど、不自然に感じてしまうほどに過剰です。ですが、『アイカツ!』ほどの作品が、意味もなく物語をシリアスにし、「かわいそう」なキャラクターに強制的に感情移入させ、徒に涙を煽るようなことをするはずがありません。では、トライスター編は何故必要だったのか。トライスター編に纏わるユニット結成の意義とキャラクターの成長を考えてみたいと思います。

 

 まあ大方はソレイユの話です。まずは、第35話「涙の星」の公開面接での、星宮いちご、霧矢あおい、紫吹蘭それぞれの受け答えを見てみましょう。

 いちごは、面接開始直後頭が真っ白になってしまいましたが、あおいと蘭のことを思い浮かべ、乗り切ることができました。さらに面接中、あおいがスターライトに誘ってくれたことや、蘭が自分の目を覚ましてくれたことなどを語り、いい親友に恵まれたことだけは自信があると明言しています。

 あおいは、いちごと蘭と共に最後の3人に残れたことの喜びを語り、今の自分は「ヘビとマングースに睨まれて生き残ったハムスターみたいな気分」だと言います。そして、いちごと蘭のアイドルとしての才能についてどう見ているのかを美月から尋ねられ、2人の魅力を熱心に語りました。

 ところが蘭の場合は、他の2人の面接では最初に訊かれていた「最後の3人に残れた今の気持ち」についての質疑が描かれておらず、いきなり蘭が「紫吹蘭が加わったら…」と最後の質問に答えるところから面接のシーンがはじまります。ここでは、いちごやあおいのことに関しては一切触れられていません。

私にとっては、ステージが自分の居場所なんです。隣に誰が来ても、誰と組んでも、例えトライスターに加わっても、紫吹蘭は紫吹蘭です。

 まるで自分を戒め騙しているようなセリフです。大嘘です。35話のホットケーキのシーンを見ても、第24話「エンジョイ オフタイム」を見ても、そんなことは火を見るより明らかです。実際、トライスターで蘭がミスをした際に、美月は「あなたらしからぬミスね」(第37話)と言った。「隣に誰が来ても、誰と組んでも、例えトライスターに加わっても、紫吹蘭は紫吹蘭」だなんてことは全くなかったわけです。

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  思うに、蘭はまだ自分の気持ちに素直になれていなかったのではないでしょうか。「確かにいちごやあおいといると楽しい。でも、アイカツは遊びじゃないんだ。」といったような具合で。そんな蘭が「あたしが探してた言葉」は「頑張ってね」じゃなくて「頑張ろう」だったのだと気づくためには、一度2人から引き離される必要があった。蘭が自分の気持ちに気づき、自分の意志で自分の居場所を決めなければ、ソレイユ結成の意味がないのです。

 

 ソレイユといえば『ダイヤモンドハッピー』です。この曲が第37話「太陽に向かって」において、劇中ではじめて歌われたことには大きな意味があります。

熱く確かな世界 動き始めた
そうだ私の世界
進め大好きな世界 とまらない鼓動
これが私の世界

動き始めた「熱く確かな世界」、「大好きな世界」を「私の世界」だとはっきり言えるようになったことが紫吹蘭の成長であり、ソレイユ結成の意義なのです。

 ちなみに、3人でライブに出ようとはじめて言い出したのは、実は紫吹蘭でした。

でも、ありかもな…。出てみるか?3人で、スペシャルオーディション。〔中略〕あたしも、なんか2人と一緒に闘ってみたくなった。(第8話「地下の太陽」)

 そして、第9話「Move on now!」ではじめて3人でステージに立ち、『Move on now!』を歌いました。この時のステージに上がる前のかけ声は、「明日へ向かってMove on now!」でした。

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 そして、37話で美月が蘭に送ったメールには、次のようにあります。

蘭の心にこれ以上雨がふらないように、蘭にはトライスターを外れてもらいます。

あなたには太陽のもとでかがやいていてほしいから!

私の夢であなたの夢を振り回してしまって、ごめんなさい。

いつも、夜空からあなたたちをみています

行く道は違っても、お互い同じ空で輝きましょう。

 夜が明け、太陽が昇るということは、明日が来るということです。37話で蘭は、文字通り太陽に向かって走りました。トライスターという夜空からソレイユという太陽に向かって、「明日へ向かってMove on」したのです。そして再び手を重ね、「これからは3人一緒に輝こう」と言った。

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  世界一硬い鉱物と考えられているダイヤモンドには、「永遠の絆」という宝石言葉があり、「壊れることのない変わらぬ気持ち」や「確かなるもの」を表します。*2 ソレイユとは、まさにこれからを照らす「永遠の絆」の太陽であり、自らの意志で明日へと向かう「新しい輝きのメロディー」なのです。

上を向けば太陽キラリ
まぶしくなれもっとね
君は光るダイヤモンド
新しい輝きのメロディー

 

 さて、このエピソードを通して大きく成長した人物がもう1人います。神崎美月です。美月がトライスターの3人目のメンバーに蘭を選んだ理由は、次のようなものでした。

私がアイドルユニットを組むからには、そのメンバーは、一人でも強く輝ける力を持つ人でなければと考えました。そして、オーディションの紫吹蘭の姿に、そのプロ意識が見えました。(第35話「涙の星)

 初期の神崎美月は、徹底した実力主義です。レベルの合うアイドルがおらず、1人でトップに立ち続けていた彼女が「一人で輝ける強さがあるかどうか」をユニットメンバー選出の基準にしたのは、当然の成り行きといえるでしょう。そして、蘭を「一人でも強く輝ける力を持つ人」だと判断し、トライスターのメンバーに選びました。ところが、それは間違いだったと気づく。単に強い光が集まればいいのではないのだと。ここから、神崎美月の成長物語がはじまります。

どんな惑星だって ひとりぼっちで

輝けるわけじゃない

 結局、美月はトライスター3人目のメンバーに、藤堂ユリカを選びました。あれだけ大規模なオーディションを行い、徹底的にふるいにかけて力のある人物を選び出したのにもかかわらず、ふるい落とされた側の人間を選んだのです。

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 ユリカは、単に力不足で脱落したのではありません。吸血鬼キャラを死守して、言い換えれば、自分だけの輝きを守って脱落したのです。そんなユリカを美月は選んだ。輝きの強さだけでなく、一つ一つの輝きそれ自体に目を向けるようになった証拠です。もしかえでとユリカの相性の良さも見抜いていたのだとしたら、これはものすごい成長です。そして、この成長はスターアニスへと繋がっていくのです。

夜空に輝く北極星は、3つの星が重なり合って一際目映く輝いている。私たちも一つになれば、きっとどこまでも大きく輝くことができる。この夏一番光り輝く、スターアニスという星に。(第41話「夏色ミラクル☆」)

 第41話「夏色ミラクル☆」で、みんなで同じ部屋に泊まりたいとリクエストしたのは、他でもない神崎美月でした。ずっと1人でトップを走り続けていた美月は、「ひとりだけれど独りではないスタート」へと進んでいくのです。*3

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 同じく41話で停電に見舞われた際、美月はその場で、おとめとかえでのマジックショーや、さくらの生け花、蘭のウォーキング、いちごとユリカの漫才(会話?)、あおいの「美月ちゃんクイズ」を発案し、電気を使わずに観客を楽しませます。その姿にいちごは強く感銘を受けたのでした。

美月さんはやっぱりすごい。私たち一人一人をちゃんと見てくれていて、ファンのみんなだって、こんな笑顔に。

 その後、美月は輝きを見つける側であるプロデュースに興味を持つようになり、スターライト学園を去った後、ドリームアカデミーのアドバイザーに就任します。

あなたたちと過ごした日々は輝いていた。でも、先輩としてもっと上手に後輩のあなたたちを導けたんじゃないかって思ってたわ。そう考えるうちに、プロデュースに興味を持ったの。(第63話「紅白アイカツ合戦!」)

 そして、最終的に彼女が選んだパートナーは、夏樹みくるでした。みくるって、言ってしまえばアイドル素人です。ど素人です。あの実力主義の神崎美月が、アイドルですらないみくるをパートナーに選んだ。彼女の輝きに気づくことができた。ここに美月の成長が集約されています。

いちごはたくさんいっぱいいろんなことを気づかせてくれた。そんな、いちごからもらったいっぱいで紡いだ翼を羽ばたかせて、私は新しいアイカツをスタートさせる。〔中略〕新しい私だけの、私自身で立ち上げた事務所から、ユニットで。(第78話「ミラクルはじまる!」)

 なんとも見事なのは、トライスターという3つの星が、スターアニスという3つのユニットの結び合せに繋がり、その「夏色ミラクル」が夏樹みくるへと繋がっているという点でしょう。涙の星にはじまった神崎美月の物語は、夏色のキセキに出会い、花の涙で一旦その幕を下ろしたのです。

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*1:アイカツ!オフィシャルコンプリートブック』(学研パブリッシング、2014年、126頁)

*2:ダイヤモンドの宝石言葉

*3:第42話「船上のフィナーレ☆」のいちごとかえでの会話が、『ヒラリ/ヒトリ/キラリ』の歌詞と呼応している点も見事。スターアニスの活動はいちごの「ひとりだけれど 独りではない スタート! 進むためのレッスン」にもなっている。

『やがて君になる』の意味を考える

 読み返していてふと思いついたことがあったので、ちょっと書いてみようと思います。『アイカツ!』以外のことについて書くつもりは全くなかったのですが、どうしてこうなるんでしょうね。

 

 まず前提として、「やがて君になる、の「なる」は「成る」ではなく、樹木に果実がなる、などの「生る(なる)」である。」という話は、「週刊話半分」さんの方で1年以上前に書かれているので、まずはそちらを読んでいただければと思います。

kanzo1984.hatenablog.com

 

 さて、『やがて君になる』を読み進めていくと、「そのまま」という言葉が重要な位置を占めているような印象を受けます。例えば燈子が過去を語るシーンには

成績は平凡 友達だって多くなくて

怖がりで いつも誰かの陰に隠れてた

だけどある日 そのままじゃ いられなくなったから*1

とありますし、「特別って気持ちがわからない」*2という侑に対し、燈子は「君はそのままでいいんだよ」*3と言ったのでした。

 

 ここで思い当たるわけです。そういえば受験古文では「やがて」は「そのまま」という意味だったなあと。現代語にも「そのまま」という意味は残っています。

やがて (出典:デジタル大辞泉)

そのまま。引き続いて。「山の仕事をして、―食べる弁当が」〈左千夫・野菊の墓

  すると、「やがて君になる」は「そのまま君に生る」と言い換えることができる。こうすると辻褄が合うんですね。

 

 ここで一度、燈子と侑の、どこまでも特別な関係性を整理しておきましょう。

  燈子は人前で「そのまま」でいることができません。我慢が必要になるとしても、「特別な私のままでいたい」*4のです。燈子に好意を寄せる人たちは「特別」な燈子のことが好きなのであり、また好きになるということは、その人を特別だと思うことでもあるので、燈子は誰とも付き合うことをしません。燈子に取って「好き」だと思われることは、暴力なのです。

「好き」って暴力的な言葉だ

「こういうあなたが好き」って

「こうじゃなくなったら好きじゃなくなる」ってことでしょ?

「好き」は束縛する言葉

だから「好き」を持たない君が

世界で一番優しく見えた*5

 燈子を特別な存在だと思わないただ一人の存在が侑でした。「弱い自分も完璧な自分も肯定されたくないくせに 誰かと一緒にいたい」*6燈子に取って、侑はこの上なく特別な存在です。だからこそ燈子は侑に「君はそのままでいいんだよ」と言った。誰かを特別だと思えないままでいい。それが燈子にとっての特別なのだから。

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 一方、侑は「特別って気持ちがわからない」人物です。だから、誰かに好意を向けられても、応えることができない。誰かに特別だと思われても、その人を特別だと思うことはできないのです。そして、そのことを寂しいと感じているし、変わりたいと思っている。

 燈子に取って、「特別って気持ちがわからない」侑は、どんなに近づいても自分を特別視しない特別な人物です。ですから、侑の前でだけは、燈子は「そのまま」でいることができる。逆に侑は、人を特別だと思わない「そのまま」の姿でいることで、自分に対する燈子の特別に応えることができる。侑に取っての燈子は、特別がわからない「そのまま」の自分を特別だと思ってくれる、どこまでも特別な存在です。頭ではわかっているのですが、言葉にするとなんて複雑なんでしょう。

…七海先輩が

そのままでいいって言ってくれたから

好きって言われても好きって返せないわたしのことが好きだって

そう言ってくれるから

今はもう寂しくないかな*8

 

 つまり、二人は「そのまま」の状態(侑は人を特別に思えないまま、燈子は特別を演じないありのまま)で特別になれる唯一の相手同士であるということです。「やがて君になる」とは、「そのままの私の花が君の中に咲いていく」「君の中でしか存在し得ないありのままの私が君の中に芽吹いていく」ということではないでしょうか。だから「Bloom Into You(君の中へと咲いていく)」なのです。

 これはとても悲しい恋です。恋ですらないのかもしれません。なぜって、侑の中に恋心が芽生えてしまったら、この関係性は壊れてしまうからです。唯一好きになれるかもしれない、好きになりたい存在であるのにもかかわらず。

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 また、侑の願い通り燈子が特別な自分を演じるのをやめてしまったら、燈子の「そのまま」が特別でなくなってしまったら、その瞬間侑は燈子に取っての特別ではなくなってしまいます。

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 「そのまま」が特別になってしまうのですから、「そのまま」という言葉もある種暴力的です。「そのまま」の姿の私は、君の中で容赦なく花を咲かせていく。特別ではないことにおいて特別な二人は、特別になったら特別ではなくなってしまう。

 9話では脈で聞いていた心臓の音を、16話では直接聞いています。距離は確実に近づいている。簡単に壊れてしまうけれど、それ故に何よりも特別な二人の関係は、これからどう転がってもおかしくありません。侑の中に少しずつ恋心が芽生えはじめ、どこへ向かうかわからない今、これ以上私見を述べるのは野暮というものでしょう。

*1:1巻155頁

*2:1巻34頁

*3:1巻38頁

*4:1巻156頁

*5:2巻169頁

*6:2巻161頁

*7:1巻160-161頁

*8:3巻137頁

*9:2巻154-155頁

*10:3巻106頁

『魔法つかいプリキュア!』の「魔法」の話

 49話「さよなら…魔法つかい!奇跡の魔法よ、もう一度!」、すごかったですね…。本当にすごくて、月曜になっても全く余韻が消えなくて、それでいろいろとEvernoteに書き殴っていたのですが、それが気がついたら結構な分量になっていまして、もうどうせなら公開してしまおうかなと。そんなところです。うまいこと構成し直して加筆・修正を加えてはみたのですが、要するに49話を見て思いの丈をぶつけただけなので、あまり論理的とはいえないですね。まあなんでもいいです。

 

 さて、本作では、言葉や思いの強さが起こす奇跡を「魔法」と形容する描写が何度かありました。『魔法つかいプリキュア!』における「魔法」とはそういうものなのだと思います。花海ことはという名前も、「素直な言の葉は、時に魔法となって人の心を動かす」という校長先生の言葉を受けてのものでした。モフルンの存在もそうで、モフルンが動いたり話したりできるようになったのは、みらいと話したいと思い続けていたからなのでした。(36話) 

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 そして49話では、ものすごいことが明かされました。見てた時は涙で画面が見えなくて、何も考えられなかったのですが、あとから考えるとものすごいことです。全文を引用します。

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リコ、ありがとうモフ。あの時モフルンを見つけてくれて。

モフルンは『魔法つかいがいた』って、みらいに教えてあげたくて、一生懸命つたわるようにねがったモフ。

そしたらリコはモフルンに気づいてくれて、みらいのお友達になってくれて、モフルンもみらいとおしゃべりできて、いっぱいいっぱいおしゃべりできて、とってもうれしかったモフ。

みらい、リコ、はーちゃん。みんな大すきモフ。

 つまり、みらいとリコ、違う世界に住む2人が出会えたのは、モフルンが「一生懸命つたわるようにねがった」からであり、思いの強さが起こした奇跡=魔法の力によるものだったということになります。決して偶然ではないのです。 

 すると、「二人の奇跡 キュアミラクル」と「二人の魔法 キュアマジカル」に変身する際に、みらいとリコがモフルンをはさんで手を繋ぐのは、二人の出会いがモフルンの思いの強さが起こした奇跡であり魔法だからなのだと考えることができます。

 

 あと感動したのが、「わたしたちの手に」ではなく「わたしたちの手で」になっていたことですね。

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 いきなり48話の話に飛びますが、混沌っていうなればハッピーエンドなんですよね。魔法界、ナシマホウ界、妖精の里の境がなくなり、共存することができればそれが一番いいわけです。でも、彼女たちは安易に混沌を受け入れることをしなかった。それは自分たちの力で掴み取らなければ意味がないのだと。そして「わたしはわたしで、その隣に誰かがいてくれる。それが何よりもすてきなの」だと。 

 あんまり引用するつもりなかったのですが、見返したら素晴らしいセリフばかりだったので、少し引用させてください。特にリコの「夕日がきれいなのは、そうしんじてるから」ってセリフが素晴らしい…

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みらい「夕日がしずんだら、みんなおうちに帰る時間。でも新しい朝が… 明日が来れば…」
リコ 「また会える。夕日がきれいなのは、そうしんじてるから…」
みらい「うん。どうなるかなんて、今は、まよってちゃダメ。取りもどさなくっちゃ!わたしたちの… みんなの夕日!」
ミラクル  「本当は、ちょっぴりうれしかった。2つの世界のみんなが、あんなふうになかよく笑顔でいられる世界。でも…!」
マジカル  「それは、ただ待ってて手に入れられるものじゃないわ。」
フェリーチェ「そう、自分たちの力でいつか…。そのために明日を、かならず守って見せます!」 

 『魔法つかいプリキュア!』における「魔法」は、努力なしに何でも解決してくれる便利なツールではないのです。素直な言葉や強い思いが起こす奇跡。それが魔法であって、彼女たちが「魔法つかい」であるというのは、そういう文脈においてなのだと思うのです。 

 そして、デウスマストを倒した後、彼女たちは何年も再会を信じ続けた。また会える明日が来ると信じ続けた。その強い思いこそが魔法なのであり、「わたしたちの手で」起こした奇跡なのです。
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 もう一つ、おばあちゃんの話を少ししておきたいと思います。みらいにモフルンをあげたおばあちゃん、結希かの子。彼女がどの程度魔法界を知っているのかは不明ですが、というか不明なままでいいと思うのですが、少なくとも校長先生を見たことはあるわけです。もし彼女が2つの世界の接近を願っていたとしたら、その願いがモフルンに魔法をかけたと考えることもできると思います。 

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かの子「モフルンはみらいを見守ってくれてる。小さい頃からずーっと、今でもね。」
みらい「わたし、おばあちゃんのお話、大すき。不思議なお話をいっぱいしてくれたから、色んなことに興味を持てて…。だから、出会えたんだ。
かの子「素直な言葉は力になる。」
みらい「えっ?」
かの子「思いがつながっていれば、それは… 奇跡を起こすのよ。」

 おばあちゃんのキャラクターに関しては曖昧な余韻を残す狙いがあると思うので、解釈を提示するのもどうかなとは思ったのですが、まあ一つの見方ということで。ただ、視聴者の視点の分身的な役割はあるのだろうなとは思います。

 

 『アイカツ!』最終回に際して、松澤千晶さんがこんなツイートをしていらっしゃいました。

 松澤千晶さん、本当に素晴らしい感性をお持ちなんですよね…。毎回文面から作品への愛がこれでもかというほど伝わってきます。エッセイとか出して欲しい。

 まあそれはさておき、『魔法つかいプリキュア!』も、「画面の中から自分の中へ宿る感覚に」なってくれればなあと思うわけです。素直な言葉や強い気持ちがあれば、奇跡は起こせる=魔法は使えるのだということ。そして、違う世界の人とだってわかり合えるのだということ。子供たちにはいつまでも忘れないでいて欲しいなあと思います。 

 最終回のサブタイトルにある通り、『魔法つかいプリキュア!』の「魔法」は、未来(あした)をいい日にしてくれる魔法でもあるのかもしれません。

 そう、最終回まだ終わってないんです。なので、とりあえずは49話に寄せてということで。

START DASH SENSATIONから大空あかりの物語を読む

 『アイカツ!』という作品の大きな特徴の一つとして、物語と楽曲の関連性の高さが挙げられます。「アイドルオーラとカレンダーガール」「目指してるスター☆彡」「私が見つけた最初の風」など、曲名や歌詞の一節をサブタイトルにした話も多く、ステージシーンで使われる楽曲も、キャラクターの成長や個性の表現に欠かせないものとなっています。

 この記事の主旨は、そんなアイカツ楽曲の歌詞を分析することで、物語への理解を深めようというものです。

 当然ですが、ここで述べることは一つの解釈であり、絶対的なものではありません。解釈というより感想文に近いかもしれません。『アイカツ!』という作品をより深く理解し、自分なりの見方を構築する助けとなる一つの視点を提供できればと思います。

 

1)『オリジナルスター☆彡』と『START DASH SENSATION』

 さて、大空あかりのスタートと呼べる地点はいくつかありますが、第77話「目指してるスター☆彡」もその一つであるといえるでしょう。星宮いちごの真似ではない、大空あかりというアイドルのはじまり。「自分の光を大事にしなきゃ」と決心し、思い切って髪を切ったのでした。このエピソードと楽曲『オリジナルスター☆彡』は、あかりと『START DASH SENSATION』とについて考える上で、欠かすことができません。 

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『START DASH SENSATION』は『オリジナルスター☆彡』のアンサーソングとしての一面をもっています。『オリジナルスター☆彡』の歌詞にはこうあります。

なりたいビジョン 自由自在に
いつか絶対!
自分との約束
オリジナルスター 目指していこう☆彡

そして『START DASH SENSATION』には

アタマのなか膨らむイメージ
カタチにしたら世界でひとり
あたらしいわたしになれる
大好きで育てなくちゃ

こうして並べてみると、対応していることがわかります。

なりたいビジョン→アタマのなか膨らむイメージ
自由自在に→カタチにしたら
オリジナルスター 目指していこう→世界でひとり あたらしいわたしになれる

といった具合ですね。自分だけの光、オリジナルスターを目指そうと志した77話から、生まれかわって「世界でひとり」の「あたらしいわたし」になった177話までの物語が、ここに凝縮されています。

 すると、次の「未来向きの今をキミに見せるね」は、77話時点の自分自身に宛てたものとも解釈できますし、その後に「いつだってココロに光る太陽 忘れないの」とあることから、いつでも「最初の道しるべ」として心に光り続けているいちごへのメッセージとして読むこともできます。 

 続くサビの「もっと違う空に会える」「はじまる夢と はじめるキセキ わたしを待っている」などの歌詞は、未来の自分、過去の自分、どちらに向けたものとしても解釈が可能です。「もっと違う空に会える」のところは、第97話「秘密の手紙と見えない星」のエピソードを踏まえると、とても感慨深いものがありますね。ここで、歌詞が未来と過去の両方へ向けられているということは、『アイカツ!』という作品を考える上で重要な要素になってきます。


2)第12話「WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS!」と『START DASH SENSATION』

 『START DASH SENSATION』の歌詞は、物語のラストを決めてから発注していて、2番Aメロの「キミ」は、大空あかりから見た氷上スミレのことなのだということは、公式に言及されています(アニメージュ 2016年5月号)。

キミが見つけた最初の風を
いつか見失いそうな時は
一緒に探せるような
わたしになっていたいな

 この一節に、アイカツらしい、キャラクターの成長を描くことへの、並々ならぬこだわりを見ることができます。

 あかりの原点は第12話「WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS!」にあるといえるでしょう。「友達を笑顔にしたいちごちゃん」に憧れて、あかりはアイドルを志すようになったのでした。だからこそ、「友達を笑顔にすること」を、彼女の一つのゴールとして設定したのでしょう。そのゴールは177話「未来向きの今」のステージを通して、アピールに失敗し落ち込んでいたスミレを元気付けることによって達成されます。ここではじめていちごと並び立ち、また新しいスタートを切ることができるのです。いちごと並び立つということは、大スター宮いちごまつりでの「おいで。時間かかってもいい。よじ登っておいで!わたし、てっぺんで待ってるから。」への回答にもなっています。178話「最高のプレゼント」では、二人はまさに崖のてっぺんで合流したのでした。こういったストーリー構成の丁寧さが、『アイカツ!』という物語に説得力を持たせているのでしょう。

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 さらにすごいのは、176話でスミレが失敗したことと、177話までのあかりの物語とは、無関係だというところです。『アニメージュ 2016年5月号』の木村隆一氏と加藤陽一氏の対談記事によれば、スミレが最後に挑戦し失敗してカッコ良く終わるということは、最終回のストーリーが作られる以前から決まっていました。そして、あかりが最後に笑顔にする友達の候補には服部ユウが挙がっていたといいます。けれど、「今はスミレの方があかりに近い存在だし、スミレを使うのが自然」だったからという理由で、笑顔にする友達はスミレに決まったのです。ここには「主人公の物語を綺麗に終わらせるために誰か他の人を失敗させよう」などといった、ストーリーのためにキャラクターを恣意的に動かすようなプロセスが一切ありません。あくまでもキャラクター一人一人の成長を中心にストーリーが考えられている。それはCGモデルを持たない(見方によってはメインキャラではないともいえる)服部ユウに対しても同じです。ユウは178話であかりの応援に駆けつけ、「大の仲良し」として紹介されたのでした。ユウの登場と紹介のされ方に涙してしまった方も多いのではないでしょうか(私は泣きました)。 妥協なきキャラクターへの愛が、登場人物一人一人に血を通わせているのです。

 歌詞に戻りましょう。続くBメロの「あの日」もいろいろな解釈ができます。「教えてくれたんだ今日の笑顔」に繋げるとすれば、12話、77話、97話あたりがやはり妥当でしょうか。「あの日があって今が最高になる」の部分がスミレパートだということを考えると、スミレが177話のあかりのステージを思い返して歌っているようにも聞こえますし、「あの日」を第117話「歌声はスミレ色」として解釈することもできるでしょう。誰が歌うか、いつ(どの話で)歌うかによって意味が変動することに、散文にはない詩の魅力があるのだとも思います。

 2番サビの「何度も生まれかわろう」とか、もうすごく感慨深いですね。大空あかりは、髪型の変化が象徴しているように、何度も生まれかわってきたアイドルです。星宮いちごという存在を知り憧れを抱くようになったことも、スターライトに入学したことも、とにかく一つ一つの出来事が、彼女にとっては「今日が生まれかわるセンセイション」だったのでしょう。「今日が生まれかわる」というフレーズは『アイカツ!』全体のテーマを反映しているようにも思えます。そのあたりのことは4項で詳しく考察したいと思います。

 

3)『アイカツ!あかりGeneration』と『START DASH SENSATION』

 いちご世代(この言い方あまり好きじゃないのですが、「あかりGenerationに対してそれ以前」という定義でここではこの呼称を採用します)とあかり世代ではテーマが異なります。少なくとも、主人公が違うことによって、物語のテイストに差異が生じています。この辺『Blooming♡Blooming』から北大路さくらと大空あかりの対比を考えるとわかりやすいのですが、ここでは簡単な説明にとどめておくことにします。

 101話以前と102話以降のあかりの置かれた環境を比べてみてください。101話までは、あかりの周りはあこがれの先輩達ばかりでした。まだ駆け出しのあかりは、いちご世代のアイドル達の後輩役であり、影響を受ける側の存在でした。ところが102話以降、あかりの立ち位置は一変します。いちご世代のアイドル達はあまり登場しなくなり、同学年の仲間や年下の後輩達が登場するようになります。あかりは影響を与える側として描かれるようになります。

 また、あかり世代のキャラクターはいちご世代に比べて「あこがれ」という要素が薄いという特徴があります。例えば、スミレは藤堂ユリカのポスターを寮の部屋に貼っていますが、「いちご→美月」や「あかり→いちご」のような強烈な憧れを抱いていたというエピソードはありません。天羽まどかも、同じAngely Sugarを着るいちごと絡めたエピソードなんかがあってもおかしくはないのですが、そういった描写はあまりありません。あかりGenerationでは「あこがれ」という要素は意図的に抑えられ、「友達」や「仲間」の方に主題が置かれているように見えます。そしてこのテーマの以降は、あこがれを追いかけた先で生まれかわって「世界でひとり」の「あたらしいわたし」になったあかりの物語とリンクしているように思います。

 あかりGeneration最初のエンディング曲が『Good morning my dream』だったことも、あかり世代のテーマを象徴しているのだと考えられます。『Good morning my dream』では扉をあけた先で出会った仲間のことが歌われています。 

 『START DASH SENSATION』のCパートを見てみましょう。

(ひなき)未来向きの今をキミと走ろう
(スミレ)いつだって、ここから、あたらしい夢
(あかり)どこにだって行けるよ!
(START DASH!!)

あかりGeneration最初のエンディング曲『Good morning my dream』には「どこまでもキミと走っていたい」というフレーズがありました。それが、最後のオープニング曲である『START DASH SENSATION』では、「未来向きの今をキミと走ろう」になっている。願望から意志へと変わっている。これが『アイカツ!あかりGeneration』の物語なのです。

 

4)『アイカツ!』と『START DASH SENSATION』

 『START DASH SENSATION』は『アイカツ!』最後のオープニング曲であると同時に、最後の挿入歌でもあります。最後に、『アイカツ!』全体の締めくくりの歌として『START DASH SENSATION』を考えてみたいと思います。

 最終回が放送された時、「アイカツは終わってしまったけれど、悲しい気分にはならなかった」という意見をSNSなどで多く見かけました。私も放送前はかなり落ち込んでいたのですが、放送が終わった後は、不思議と明るい気持ちになっていたのを覚えています。しかし、これは制作の主旨を考えれば、ある意味では当然のことといえます。

 『アイカツ!』は「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」を目指して作られました(『アイカツ! オフィシャルコンプリートブック』)。ですから、最終回を見終わった後に「未来への夢を持てる」終わり方をしなければならない。そういうことを考えて178話の脚本や演出は練られたのだと思います。

 あかりは、自身の物語の締めくくりとして、スタートの曲を歌います。あかりの物語の終わりには同時に始まりがあります。そして、前にも述べましたが、あかりは何度も生まれかわってきたアイドルです。

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  あかりの「今日が生まれかわる」物語は、『アイカツ!』制作の意図とリンクしています。『アイカツ!』は見た人の今日が生まれかわり、「明日を信じる力、未来への夢を持てる」ようにと意図して作られたのでした。

 1項で、『START DASH SENSATION』の歌詞が未来と過去の両方へ向けられているということは、『アイカツ!』という作品を考える上で重要だと書いたのはそういうことです。あかりの物語の終わりは同時に始まりでもあり、『START DASH SENSATION』は今までの自分の終着点であると同時に、「ここがスタートライン」でもあるのです。そして、ここから、「未来向きの今」から、「どこにだって行ける」のです。

 それは、『アイカツ!』最終回も同じです。『アイカツ!』では、終わりは始まりと同義なのであり、物語の終わりは私たちの「素敵な明日」の始まりでもあるのです。そしてそれは「ずっと続いていくセンセイション」なのです。