『秘密の空をめぐって』委託販売のご案内

 「芸能人はカードが命!」第14回で頒布したアイカツ考察本『秘密の空をめぐって』の委託販売を、BOOTHにて行っています。A5版、70ページ。価格は本体価格(500円)と送料(180円)を合わせて680円になります。よろしくお願いします。

booth.pm

『プリンセス・プリンシパル』論:日常と革命

 

それでも… それでも、私は女王になって、私たちを隔てているものをなくしたい

case2 Vice Voice

 思えば、『プリンセス・プリンシパル』という作品を突き動かしてきたのは、上に引いたセリフに代表されるような、プリンセスの〈革命への意志〉とでも呼べるようなものでした。それは元を正せばアンジェの願いであったわけですが、もはやアンジェはそれを望んではいません。けれど、プリンセスは「カサブランカの白い家に2人で逃げる」というアンジェの計画を拒絶する。「少女たちのスパイアクション」は、実のところこのプリンセスの我儘からはじまっています。

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 〈革命への意志〉と書きましたが、プリンセスは「革命」という言葉を好んで使ってはいないようです。*1 ですから、ここでいう「革命」とは、端的に「隔てているものをなくすこと」の意味です。このプリンセスの志向する「革命」の在り方は、case24*2において、ゼルダの計略との対比と共に極めて明瞭に描き出されています。 

「お気遣い無用です、プリンセス。たかだか4,5人の空腹を満たしたところで…」

「いいえ。これは私のためです。だって、みんなで食べた方が楽しいでしょう?」

case24 Fall of the Wall

 少し奇を衒ったような言い方に聞こえるかもしれませんが、「革命」とは、例えば「みんなでスコーンを食べること」です。和製ピカレスクの常道よろしく、チーム白鳩の面々は可能な限り血を流させない道を選んできましたが、プリンセスのいう「隔てているものをなくすこと(=革命)」も、その延長線上にあります。

 付けて、プリンセスの(元を正せばアンジェの)〈革命への意志〉は、突き詰めれば出会ってしまったことに端を発します。

アンジェ、私、女王になる。アンジェと入れ替わったおかげで、私わかったの。みんなを分ける、見えない壁がいっぱいあるって。私は女王になって、その壁を壊してやるの。そうしたらアンジェ、私とあなた、ずっと一緒にいられる!

case20 Ripper Dipper

 壁を越えて誰かが出会ってしまったこと、それ自体が既に「革命」である。つまり、間違った変てこな土俵入りをして勝利を祝うことも、鉢巻を巻いて洗濯をすることも、ピアノの連弾をすることも「革命」である。いささか綺麗事が過ぎるようにも思われますが、どうにも私にはそうみえます。

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 乏しい私見によれば、これに類するものとして、『ロミオとジュリエット』があります。『ロミオとジュリエット』では、モンタギューとキャピュレットの間の壁を壊すために、2人の若人の死が必要だったわけですが、ともあれ、その壁の破壊も、2人が出会ってしまったからこそ成し得たことでした。

 『ロミオとジュリエット』といえば、やはり「ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」というセリフが思い浮かびます。

ジュリエット

ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの。
お父さまと縁を切り、その名を捨てて。
それが無理なら、せめて私を愛すると誓って。
そうすれば、私はキャピュレットの名を捨てましょう。

ロミオ

〔傍白〕もっと聞いていようか、今、口をきこうか。

ジュリエット

私の敵は、あなたの名前。
モンタギューでなくても、あなたはあなた。
モンタギューって何? 手でもない、足でもない。
腕でも顔でも、人のどんな部分でもない。
ああ、何か別の名前にして!
名前がなんだというの? バラと呼ばれるあの花は、
ほかの名前で呼ぼうとも、甘い香りは変わらない。
だから、ロミオだって、ロミオと呼ばなくても、
あの完璧なすばらしさを失いはしない。
ロミオ、その名を捨てて。
そんな名前は、あなたじゃない。
名前を捨てて私をとって。

河合祥一郎訳『ロミオとジュリエット』第二幕 第二場

 この作品について物知り顔で講釈を垂れるほどの知識は私にはありませんが、ジュリエットの名前への懐疑を頼りに、一つの結論を導き出すことはできるように思います。それはつまり、「言葉とは嘘である」ということです。

 最も顕著なのは「プリンセス」という言葉でしょう。プリンセスはプリンセスではありません。あれは王族のフリをした「ただのスパイです」。本人がそう言っています。かといって、アンジェが本当の名前かと言えば、そんなに単純なことでもない。他方、アンジェの本当の名前がシャーロットかといえば、それもやはりそう簡単なことではない。同じように、王国、共和国、日本、壁、スパイ、あるいは「嘘」という言葉さえも嘘かもしれないわけです。

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 そんな中で、シャーロットとアンジェは、壁を越えて不意に出会ってしまいました。壁が「嘘」であると知ってしまいました。「革命」はそこからはじまります。そして、“「私たちは何?」「スパイ。嘘をつく生き物だ」”。壁を越えて出会うことのできる「スパイ」こそが「革命」の担い手なのではないか、と。そう読んでもいいはずです。ここで『赤毛のアン』を引いてもいいでしょう。

薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香るって本で読んだけれど、絶対にそんなことはないと思うわ。薔薇があざみとか座禅草スカンク・キャベツとかいう名前だったら、あんないい香りはしないはずよ。

モンゴメリ赤毛のアン』(松本侑子訳、集英社文庫、2000年)

 『ロミオとジュリエット』は、言葉、名前、嘘――そういうものの持つ力を暗に示しているともいえます。ですから、アン・シャーリーのこのセリフは、ジュリエットと逆のことを言っているようでいて、実は同じ表現の裏返しでもある。そして、プリンセスは言いました。「でも、言っているうちに本当になる嘘もあるわ」。

 と、ここまで考えると、〈シャーロット→アンジェ〉が〈ジュリエット→アン〉に見えてきてしまうわけですが、さすがにそれはこじつけが過ぎるというものでしょう。

 さて、ここまで私なりに考えたことをいろいろと書かせていただきましたが、実のところ、ここまでの内容は大して重要ではありません。『プリンセス・プリンシパル』の偉大な点は、何といってもエンターテイメントとしての質が高いところにあります。それでいて、悲劇的な側面もしっかりと描いている。「ヒットする作品は、本当に大事なことに多層的にオブラートがかぶせてある。だからこそヒットする」。*3 トリッキーな構成と、観返した数だけ裏を読んでしまうような言葉のあや・表情の機微、江畑諒真氏による極上のアクション、不条理さを正面から描いた、目を背けたくなるようなエピソード。この多層的に編まれた「嘘つきエンターテインメント」を全力で楽しんで、全力で騙されることが、何より大事なのだと思います。

 最後まで読んでいただいてありがとうございます。いささか暴力的でまとまらない論ですが、どうかご容赦ください。

 


*1:革命によって引き裂かれたのですから当たり前かもしれませんが

*2:TV放送版とソフト版で話数が違いますし、時系列順に整理したほうがわかりやすいと思うので、ここでは「第n話」ではなく「casen」の表記で統一します。

*3:氷川竜介『世紀末アニメ熱論』

『血界戦線 & BEYOND』EDの映像演出について

 


DAOKO × 岡村靖幸『ステップアップLOVE』MUSIC VIDEO

 


 

 松本理恵さんの映像演出には、ジャンプカット*1・同ポジ*2の多用、フレームのある構図、ロングショットの絶妙な間の取り方等々、いくつかの特徴がありますが、映像と音の親和性が異常なまでに高いというのも特徴の一つではないかと思います。

 この「映像と音の親和性の高さ」について、一つ興味深い言及があります。

 といって幾分かうろ覚えではあるのですが、確か『京騒戯画』配信第一弾のオーディオコメンタリーだったと思います(DVD借りてきて確認します。すいません)釘宮理恵さんがこんなことを言っていました。曰く、松本監督とはじめて会った時「釘宮さんは赤だと思うんです」と言われて、それでなんだか100%信用してしまった、と。言われてみると、松本理恵さんは、音を「色」として捉えているように思えてきます。

 これはもちろん「松本理恵はシドバレットのような共感覚を持った天才なんだ!」とかそういう話ではなくて、つまり、視覚的なものと聴覚的なものの総体として映像を捉え、どう演出していくか。表情、動き、背景、劇伴、効果音、声、それぞれの色をどう混ぜ合わせて、一つの連続した映像にまとめ上げていくか。こういうことを徹底的に考え抜いて、コンテを描いたり、選曲をしたり、演技指示を出したりしているように思うのです。

 では、松本理恵さんはBGM、SE、セリフの出し方・ニュアンスまで全部絵コンテ上で計算しているのか。というとさすがにそれはないらしく、ダビング*3の段階で直すことも多いそう。これについては、『血界戦線』で音楽演出を担当されていた佐藤恭野さん(佐藤順一監督の奥さまです)のインタビューで少し触れられています。

佐藤 松本監督の場合は、このシーンのこのカットにはこの曲のこのフレーズがきて欲しい、みたいなイメージがきちんとある場所が多いので、それに沿って選曲・編集するのだけど、ダビングでセリフと効果音と曲が合わさった時に、彼女の中に新たに効果音の音質のイメージや曲の始まりやフレーズの位置、セリフの聞かせ方などのアイデアがどんどん湧きあがってくるんです。そのアイデアや直しが、悔しいかな「なるほど!」と思えちゃう。だからみんなそれに応えるべく、効果音を作り直したり、曲の編集を細かくやり直したりで、ダビングに10数時間かかったりしていましたね。彼女とは『血界戦線』の前に『京騒戯画』のTVシリーズ(2013年)で初めてお仕事をしたんですけど、そこで音楽編集の腕を買ってくださり、『血界戦線」でも指名していただいたので、期待に添えるよう頑張りました。

この人に話を聞きたい 第187回 佐藤恭野 (『アニメージュ』2016年7月号収録)

 

 そして、『血界戦線&BEYOND』のED映像も、音楽と映像の親和性が非常に高い。恐らく6コマ撮り、3コマ撮り*4をメインに、時に変則的なコマ数の撮影も混ぜながら、素材を重ねているのだと思いますが、まるで曲のテンポにぴったり合わせたかのような気持ちよさ。と同時に、むしろ少しずつずれていくことが心地良くもある。文章にすると支離滅裂ですが、この感覚は誰もが感じているのではないでしょうか。いやわかりませんが。

 

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 そして色使いが素晴らしい。背景のカラフルなノイズも、伴奏のピコピコ音と相互に影響しあって、互いを引き立て合っているようです。

 

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 「結論・ミクロン・1秒」とリリックが細かくなるところで6コマ→3コマに変える、右から入ってくるギターの音とほぼ同時*5にK・Kが上手[カミテ]からフレームイン*6、花びらの動くタイミングをバスとスネアの音に合わせるなど、前面に出てくる音との同期も図られています。

 

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 さらに見事なのが、Bメロの展開の仕方。「岡村靖幸の声と堕落王めっちゃ合ってるよね」とかそういうのもありますが、ここでシネスコサイズ*7アスペクト比を変えているのがすごいところ。フィルムノイズの哀愁も相俟って、曲の聴こえ方にかなり影響を与えているように思います。何というか、映像が締まるんですよね。密着マルチ*8の速度も絶妙ですし、ここで一度テンションを落とすことで、見事にまとまったEDになっている。OP・EDの演出は、ある意味「編曲」だと言えるのかもしれません。映像によって音楽の聞こえ方も変わるし、音楽によって映像の見え方も変わる。そうして〈視覚の聴覚的刺激〉と〈聴覚の視覚的刺激〉が、絶妙に作用し合った映像に仕上がっているように思います。

 

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 最後のサビ折り返し後のカットも見事で、パトランプとビルの灯り、街灯の明滅、ビルの揺れ、これらの頻度の差が独特な視覚的リズムを生み出している。前カットのピコピコ音と対応した背景のノイズのニュアンスも、パトランプとカラフルなビルのライトによってしっかりと維持され、シークエンスを保ちながらも映像のテンションが少し下がり、終わりへと向かっていく。

 

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 そして最後、キメとぴったり合わせたカット割り、タイトルロゴの出し方、逆光、手ブレ、いやもう単純にかっこいい。

 


 

 そんなわけで、感動に補助線を引くような形でいろいろと書いてはみましたが、結局松本理恵さんの作る映像は、ギチギチに計算されて詰め込まれていてリズムが良く、端的にめちゃくちゃかっこよくて、セリフとセリフ、音と音の“間”に深い感動を覚えたりもする、と。そういうことだと思います。本当に、すっかり虜になってしまった…。

 なので、本稿は準備稿のようなものです。いつになるかはわかりませんが、いずれもっと資料を集めて、きちんとまとまったものを書きたいと思っています。

(とりあえず東映でも東宝でもアニメスタイルでも、どこでもいいので絵コンテ集(本編)を出して欲しい)

 

 


※映像演出の知識に乏しいので、用語の使い方に間違いがあるかもしれません。

*1:映画の編集技法の一種。画面の連続性を意図的に無視して、カットを繋げること。例えば、時間経過や場所移動を示す映像をあえて省略することでスピード感を出すなど、様々な演出効果を出すことができる。ジャン=リュック=ゴダールの「勝手にしやがれ」(1959)で始めて用いられたといわれている(作画@wiki

*2:以前使われたカットと同じ構図を使うこと。(作画@wiki

*3:音声データと、BGM(劇伴)と、効果音を映像と合わせる作業のこと(『SHIROBAKO』公式サイト

*4:6フレームで1回動く絵、3フレームで1回動く絵、という意味です。ちょっと使い方違うかもしれません…

*5:若干K・Kの方が遅い

*6:映画・テレビの演出用語で、登場していなかったものが画面の中へ入ること。(デジタル大辞泉

*7:コトバンク

*8:セルや背景を重ねて、違った速度で同時に動かすこと⇔SL(作画@wiki

芸カ14のご案内

 

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11月12日の「芸能人はカードが命!」第14回にて、『秘密の空をめぐって』という考察本のようなものを頒布します。A5版、70ページ、500円、スペースは【プ53】です。

よろしくお願いします。

『劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』讃

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 今更ですが、本日、『劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』を観てきました。本当に今更です。「どうせ総集編だろう」「演奏シーン映画館で観れるなら行くか」とどこかで高を括っていた自分が恥ずかしくなります。『響け!ユーフォニアム』はこの劇場版なくして完結しない、ということに気づくには、少し遅すぎたかもしれません。

 まず驚かされたのは、焦げ付いた鍋のメタファーでした。久美子の姉、黄前麻美子が味噌汁を作ろうとして焦がしてしまった鍋。その意味するところについては重々承知しているつもりでしたが、TV版で丹念に描かれた物語を105分に詰め込んだ劇場版では、そこに秘められたものがより克明に描き出されていたように思います。

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 「大人」はいろいろなことを言います。「吹奏楽をやめろ」と言ったり、「勉強しろ」と言ったりします。それは、恐らくある程度まで正しいことです。そして、田中あすかのような「頭のいい」人間ほど、何ともないような顔をして「大人ぶる」ことができます。けれど、そんなあすかに対して、久美子は言うわけです。「先輩だってただの高校生なのに!」。これは明らかに、姉の言葉を受けてのものです。

 「大人」との軋轢、「世界」との軋轢、そういう鍋の底にへばりついて取れない焦げのようなものに対して「わかったふり」をするのではなく、必死で擦ってそれを削り落とす。そうして傷だらけになって、はじめて見えてくる輝きがある。そういう傷だらけの美しい光を、人は時に“青春”と呼ぶのでしょう。それは「大人ぶる」こととは正反対でありながら、「大人になる」ために必要不可欠なプロセスでもあります。

 

 この3人*1のユーフォ奏者——黄前久美子、黄前麻美子、田中あすか——の青春を捉えたフィルムは、「ユーフォっぽい」という不明瞭な言葉に輪郭を与えてもくれました。

 ユーフォニアムという楽器は、非常にマイナーな楽器です。“『響け!ユーフォニアム』を観るまでそんな楽器知らなかった”という人も多いと思います(私もそうです)。その上、合奏では埋もれます。基本的に目立たない。けれど、柔らかく丸みのあるその音色は、メロディ(ソロ)にも適している。そんな立ち位置の楽器だそうです。*2

 久美子やあすかも、基本的には目立とうとしません。というより、素を前に出そうとしません。どこか冷めたような顔をして、他人の領分にあまり踏み込まない。けれど、内にはとてつもなく熱いものを秘めている。そういう性質を指して、あすかは「ユーフォっぽい」という褒め言葉を使っているのではないでしょうか。

 そして、この作品は『響け!ユーフォニアム』です。『響け!トランペット』でもなければ『きたうじ!』でもない。ユーフォニアムを中心に据えた物語です。だからこそ、この映画を作らなければならなかった。久美子とあすか——2人のユーフォニアム奏者に焦点を当てて、物語を再構成しなければならなかった。

 人間というのは本当にめんどくさい生き物で、その身一つで表現できることなんてほとんどありません。傷を剥き出しにして闘えるほど、器用ではありません。だからこそ彼女たちは、その“届けたいメロディ”をユーフォに託す。傷だらけになって、内に秘めたものを解き放つ。「響け!」と。

 そうです。この物語のタイトルは響け!ユーフォニアムです。「ユーフォっぽい」2人の青春だからこそ意味がある。『劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』という珠玉のフィルムは、その被写界深度の浅さによってしか描けない“青春”をどこまでも美しく捉えていました。

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* 余談ですが、進藤正和と田中あすかの親子関係がユーフォの音で繋がっているところ、しかもユーフォの音と滝先生を通して伝えられた一言だけで16年分の空白が埋まってしまうというところも「ユーフォっぽ」っくて本当に素晴らしい。

*1:書くと冗長になってしまいそうな上、劇場版ではあまり焦点が当たってなかったので省きましたが、夏紀先輩の不器用さも非常に「ユーフォっぽい」ところです。

*2:ネットで調べたりYoutubeで演奏を聴いたりしただけの雑な知識なので、あんまり当てにしないでください。