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『true tears』と『宝石の国』の陰翳

 


true tears』の陰翳

 『true tears』を観ていると、しばしば谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を思い出します。『陰翳礼讃』は、非難を承知で乱暴に要約すれば、「日本のものには、建築にしても風呂にしても厠にしても吸い物にしても、必ず陰翳がある。対して西洋では、僅かな蔭をも許さず、四隅を隈なく照らすことを志向する」というような話です。今日ではもう著作権が切れているので、青空文庫で読むことができます。

 そして、何故『true tears』の話が出てくるのかというと、『true tears』では“隅々まで照らすこと”が注意深く避けられ、“陰翳を残すこと”が志向されているように思うからです。 

 例えば、『true tears』の背景美術には、ほぼ全編に渡って画用紙のようなテクスチャがあり、もやが薄くかかっています。

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もちろん、これが『陰翳礼讃』で述べられている日本式の厠と同じだとか、唐紙や和紙の話と繋がるだとか、そういうことを安易に言うつもりはありません。が、写実的に描かれた背景や、3DCGで作られた空間と比べると、“もやもやしている“、あるいは“ぼかされている”、ということにはなるでしょう。

いくら美人の玉の肌でも、お臀や足を人前へ出しては失礼であると同じように、あゝムキ出しに明るくするのはあまりと云えば無躾千万、見える部分が清潔であるだけ見えない部分の連想を挑発させるようにもなる。やはりあゝ云う場所は、もや/\とした薄暗がりの光線で包んで、何処から清浄になり、何処から不浄になるとも、けじめを朦朧とぼかして置いた方がよい。

 この「けじめを朦朧とぼか」す効果は、入射光の激しく射す以下のカットにも見て取れます。

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特に第6話の残酷なまでの美しさは、強く印象に残っている方も多いのではないでしょうか。激しく射し込む入射光によって、文字通りの陰翳が表れる。それは彼女たちの心情を、間接的でありながらどこまでも直接的に、言葉に依らない表現によって描き出してもいました。

 そして、この激しく射し込む光は、背景とセルの区切りを見えにくくします。そういうけじめの曖昧なもの、陰翳のあるものに、少なくとも私は不思議な美しさを感じます。「物体と物体との作り出す陰翳のあや」ですね。

「掻き寄せて結べば柴の庵なり解くればもとの野原なりけり」と云う古歌があるが、われ/\の思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う。

 また、これは『true tears』というより西村純二演出の特徴ですが、ハーモニー処理の多用というのがあります。このハーモニーでの“止め”にもある種の陰翳といいますか、秘匿美のようなものを見ることができます。*1 例えば、会話の途中や転ぶ瞬間などに、不意にハーモニーのカットが挿入される。すると、一連のシークエンスの中で、一部の動きが明示されなくなるわけです。

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 『true tears』ではこの“見せない”演出があらゆるところで行われています。その一例が随所への俯瞰カットの挿入。ふとした時に、空高くから撮影したようなカットが挿入されることで、ちょっと突き放したようなリズムが生まれる。そんな風に、作品全体として、踏み込みすぎない、奥まで照らし出さない、という特徴があります。その在り方は、素直に感情を表せない思春期の彼女たちの心とも対応しているのでしょう。

 思春期の感情の揺れ動きということで言えば、それ自体そもそも奥の見えないものです。5話には同じシーンを視点を変えて繰り返すという一風変わった演出がありましたが、比呂美視点で描かれた2回目も、結局言ったセリフを心のなかで繰り返すだけだったりしました。思春期の心の機微というのは、多分そんなものなのでしょう。思ったことが口をついて出てしまって、自分(比呂美)にも眞一郎にも苛立ってきて、自分の考えてることもよくわからなくて、みたいな。あれはそういう心情の描写だったのだと思います。*2 そして、これをメタレベルで考えると、“蔭を残すこと”だということになる。ここにも演出の形式と描かれる内容との鮮やかな対応関係を見ることができます。内面を描くように見せておいて、隅まで隈なく照らし出すことはしない、というわけです。

 さて、唐突に言いますが、ここまで述べてきたような『true tears』の演出は、漆器に入ったお吸い物なのだと私は思います。何を言い出すんだと思われるかもしれませんが、どうにもこれが一番しっくりきます。つまり、ぼんやりほんのりしているわけです。蔭になっている部分は見せない。みなまでは語らない。そこにどこか神秘的な美しさがある。

吸い物椀に今も塗り物が用いられるのは全く理由のあることであって、陶器の容れ物ではあゝは行かない。第一、蓋を取った時に、陶器では中にある汁の身や色合いが皆見えてしまう。漆器の椀のいゝことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。人は、その椀の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁がほんのり汗を掻いているので、そこから湯気が立ち昇りつゝあることを知り、その湯気が運ぶ匂に依って口にふくむ前にぼんやり味わいを豫覚する。その瞬間の心持、スープを浅い白ちゃけた皿に入れて出す西洋流に比べて何と云う相違か。それは一種の神秘であり、禅味であるとも云えなくはない。

(太字引用者)

 もちろん、これを指して日本の国民性だなどと言うつもりは全くありません。こういう「人間関係に漂うやわらかな色気」*3に美しさを感じるのは私だけではないはずですし、日本人だけでもないはずです。

 そして、その「やわらかな色気」をかたどるかのように、彼女たちは本物の涙を流す。それはとても哀しく、残酷で、でもどこまでも綺麗で、純粋で、「誰かを大切に思えた」という形のない真実をその奥に透かしています。『true tears』は、そういう明かしきれない“青春”の物語なのでしょう。

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宝石の国』の陰翳

 さて、『陰翳礼讃』を踏まえると「日本人がCGアニメをあまり好まないのは、それが空間の隅々まで明瞭に描き出すものだからだ」とか、「はっきりとした数字的な境界線を持っているからだ」とかいうことを考えることができます。もちろん日本でも省略様式のセルアニメよりちゃんと動く3DCGアニメの方が好きだという人はいますし、逆に、例えばカナダには手描きアニメーションの最高峰と言っても過言ではないフレデリック・バック氏がいたりしますから、一概に国単位で括ることはできませんが、どうにも私たちには「手描き」をありがたがる風潮があるようです。『サザエさん』は実に2013年までセルを使ってアナログで撮影していましたし、最近でも、例えば『キラキラプリキュアアラモード』のOPの背景は、全て絵の具で塗っていたりします。*4

 それはCGアニメも例外ではなく、日本初の「フル3Dライブアニメ」である『APPLESEED』(2004)の頃から恐らくずっと、日本のCGアニメは「手描きに見えること」を目指して作られてきました。トゥーンレンダリングですね。今年だと『正解するカド』なんかがまさにそうです。11話のキスシーンなんかは、CGだということを忘れて見入ってしまったりしたものです。メインキャラ以外はCGモデルがなかったので、実家に帰って普段出てこないキャラクターが出てくると、ちょっと雰囲気があったかくなったりもして、いろいろな意味で成功したアニメだったと思います。

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 そんな中、最近放送がはじまった『宝石の国』は、CGならではの表現を追求している非常に特殊な例であるといえます。原作が漫画作品なのでもちろん基本はセルルックですし、背景美術にも手描きの質感はかなりありますが、CGでなければできないようなカメラワークを頻繁に使っていますし、何より宝石の質感が非常にリアルです。

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 それで、このフォスの髪なんですが、興味深いことに繊維質の素材が髪の中に敷き詰めてあって、そのシルエットを内部で乱反射させることによって、この質感を出しているんですね。その話を聞いて、どうしても谷崎を思い出してしまった。

支那人はまたぎょくと云う石を愛するが、あの、妙に薄濁りのした、幾百年もの古い空気が一つに凝結したような、奥の奥の方までどろんとした鈍い光りを含む石のかたまりに魅力を感ずるのは、われ/\東洋人だけではないであろうか。ルビーやエメラルドのような色彩があるのでもなければ、金剛石のような輝きがあるのでもないあゝ云う石の何処に愛着を覚えるのか、私たちにもよく分らないが、しかしあのどんよりした肌を見ると、いかにも支那の石らしい気がし、長い過去を持つ支那文明のおりがあの厚みのある濁りの中に堆積しているように思われ、支那人があゝ云う色沢や物質を嗜好するのに不思議はないと云うことだけは、頷ける。


水晶などにしても、近頃は智利チリから沢山輸入されるが、日本の水晶に比べると、智利のはあまりきれいに透きとおり過ぎている。


昔からある甲州産の水晶と云うものは、透明の中にも、全体にほんのりとした曇りがあって、もっと重々しい感じがするし、草入り水晶などと云って、奥の方に不透明な固形物の混入しているのを、寧ろわれ/\は喜ぶのである。

 なんでも『陰翳礼讃』と結びつけるのはどうなんだと自分でもちょっと思いますが、やはりここはさすが文豪と言うべきではないでしょうか。どういうわけか私たちは(少なくとも私は)、奥まで隈なく見えているものに対してあまり美しさを感じない。二重三重にフィルターがかぶせてあって、奥がうっすらとしか見えなくなっている(=陰翳ができている)ものに対して、ある種の神秘性を感じるようです。私は『true tears』や『宝石の国』を見る度、あまりに綺麗すぎて何か言い知れぬ感動に襲われ、唐突に泣きそうになったりするのですが、そこにはいつも陰翳の美しさがあるような気がしてなりません。何か奥へ奥へと誘致するような、神秘的で重々しい翳り。そういうものに心を惹かれているのでしょう。

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 というわけで、『宝石の国』の放送はまだはじまったばかりです。これからも各方面で話題になり、各種メディアで様々な特集が組まれることと思います。私はまだ『MdN』しか読めていませんが、それだけでも、光、影、色彩、明暗、草の質感、波のゆらめき、塵、フレア、入射光、コースティクスなどなど、細部まで徹底的に作り込まれていることがわかります(あまり取り上げられていませんが、音響演出もかなりこだわっているように思います)。髪に至っては、モデルになっている宝石の質感を踏まえて個別に作っているそうです。ものをつくっている人たちは、どうしてこうもすごいのでしょうね。本当に頭が上がりません。リンクを貼っておくので、是非読んでみてください(アフィリエイトではありません)。私はとりあえず明日にでも『CGWORLD』を買ってこようと思います。

 

CGWORLD (シージーワールド) 2017年 11月号 [雑誌]

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余談:手描きアニメの「奥」を読む

 先日、東京国際映画祭で『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』を観てきました。今年は既に2回、原恵一監督の話を直接聞ける機会がありまして、本当に上京してよかったなあと思っています。が、私の思い出話はこの際どうでもいいことです。

 会場では、入場特典として30頁ちょっとの冊子が配られていました。それがインタビューも絵コンテも載っている本当に素晴らしいものなのですが、そこに氷川竜介さん*5がこれまた素晴らしいことを書いています。

『オトナ帝国』や『百日紅』のクライマックスで使われる「背景動画」も、その一例だ。水彩画のはずの背景をベタ塗りの「アニメーション作画(動画)」で動かす技法で、走り出した人物をカメラマンが行先を見届けようと気持ちに寄り添って追うという演出意図で使われている。しかし実写や3DCGと異なり、「アニメーターがパワーをこめて動画にする」ということで、アニメの平面が立体以上の「世界」に見えてくる。主人公が倒れても立ち上がって走り続けるという意気込み、心意気も実写以上に激しく伝わるが、それは手描きがこめた熱量ゆえである。

(太字引用者)

 何故緻密に作られたCG空間よりも不格好な背景動画を好むのか。それは、そこに描かれているもの以上の何かがあるから。その奥に込められた熱量を読み取るから。そこに平面でも立体でもない「世界」があるから。

 この記事では、“奥にある何かを感じさせるような沈んだ翳りのあるもの”についての話をしてきましたが、私たちが手描きに執着する理由もここにあるのかもしれません。描かれているものの奥に込められた熱量。その熱量が作り出す「世界」。人の手で描き出されたアニメーションには、理屈では語れない「奥深さ」があるようです。

 

 

 


 ※ここまで書いておいて何ですが、私はCGアニメの歴史について全然詳しくないので、ご批判があれば喜んで拝聴します。

※(10.30)一部表現を改めました。

*1:ハーモニー処理は「実線部分のみセルで描き、色は背景画でつける画面処理」なので、上に見た入射光のカット同様セルと背景の境界を曖昧にしてるんだ、ということもできますが、曖昧にするというよりは境界そのものを失くしてしまう手法なので、少し意味合いが変わってくるように思います。

*2:8話には「思わず口から出た言葉って、本心だと思う?」というセリフもありました。

*3:松澤千晶さんのツイート(『カードキャプターさくら』についてのものですが、表現が好きなのでお借りしました。)

*4:アニメージュ』2017年10月号(81頁) 

*5:氷川竜介さんといえば、こちらの『true tears』論(mine)が本当に素晴らしいので是非読んでください。