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『けものフレンズ』の黄金比

※本記事は、たつき監督や株式会社KADOKAWAをはじめとした特定の個人、法人等を擁護または攻撃するものではありません。

 

 『けものフレンズ』は、改めて思い返すと、ものすごいアニメでした。普段アニメを観ない人まで巻き込んで、とてつもないブームを巻き起こし、遂にはMステにまで進出。朝7時半の再放送で子どもたちの人気も獲得。放送時間前後のSNS(特にTwitter)は、今考えると異常とさえいえるほどの盛り上がりを見せていました。

 ヒットの要因は数多くありますが、「作家性の強さ」もその一つでしょう。監督・シリーズ構成・脚本・コンテ・演出――声優以外全部*1と言ってしまえるほどの仕事量を、たつきという一人の人間がこなしてしまった。その結果、画面全体に対する一人の作家の支配力が極限まで高められ、「ひとケタのコントロール」ができるほどにまでなっていました。たつき監督は、こう語っています。

――人気の原因には謎めいた世界観にもあると思いますが、これは原作の吉崎(観音)先生のなかにもあった世界観なんですか?

たつき 「アニメはアニメで自由にやってもらっていい」ということで、吉崎先生と細かく世界観のお話をしたわけではありません。ただ、最初の打ち合わせのとき、先生とは廃墟の話ですごく盛り上がったんですよ(笑)。その気配で「これならこういう世界観でいけそうだ」と思いました。もともと2つの軸をもつ作品が好きで、ほんわか笑える方面と、そうではない終末感が漂う雰囲気の両方をもたせたかったんです。ただ、その配合がとても難しかったですね。序盤はかわいかった話が途中からいもきなり反転してハードな展開になる作品というパターンがひとつあると思うのですが、ずっと51対49の配分で進むものはなかなか大変で。それにはひとケタのコントロールができなければならない。その点にはずっと苦心していました。激しいお話の波を描くのではなく、「けもの」ではずっと凪のような波に抑えていました。そうしながら、第4話や第7話ではその凪が徐々に大きくなっていくんですね。特に第11話と第12話では今までよりも大きな波が描かれるので、熱心に見てくださっている方の反応がとても心配でした。  

Newtype』2017年5月号 (太字引用者)

 アニメーションは分業が基本であり、コンテと演出処理を別の人が担当することも、作画監督を複数人置くことも当たり前になっていますから、普通はこの「ひとケタのコントロール」はできません。宮﨑駿さんのようにレイアウトを全カット担当するとか、コンテに中割りの枚数まで書いてしまうとか、そういうことになれば話は別かもしれませんが、基本的には無理です。では、『けものフレンズ』にはなぜそれができたのか。それはやはり、映像としてのクオリティが低かったから、ということになるでしょう。

 映像のクオリティを下げることで*2、画面全体に対する作家の支配力を極限まで上げる。そうして、どんなに波が大きくなっても、51対49のバランスが保たれる。だから、いつまで経ってもどっちに転ぶかわからない。来週何が起こるのか、全く予想ができない。目が離せない。『けものフレンズ』は、ひとケタ単位で徹底的に計算され尽くしたアニメであったからこそ、ここまで大きな社会現象になったのだと思います。

 EDのシルエットの消失、1話が全体の縮図になっている、などなど、その「仕掛け」を数えたら枚挙に暇がありません。けれど、それは全て視聴者に突きつけられた、解かなければならない「問題」ではない。あくまでも、楽しむための「仕掛け」に過ぎないものです。そういう視聴者を楽しませるための配慮が、画面の隅々にまで行き届いていた。そういう意味では、どこまでもクオリティの高いフィルムに仕上がっていました。

 「けものは居ても のけものは居ない」、「姿かたちも十人十色」という歌詞がありましたが、『けものフレンズ』という51対49の配分で編まれたフィルムは、「日常系」にも「終末もの」にも傾かない。「オタク向け」でも「子供向け」でもない。小さい子から「ガチ」な大人まで、全ての人が楽しく観れる。そういう「のけものを作らない仕掛け」がひとケタ単位で施されたフィルムだったのかもしれません。


*1:アニメイトタイムズ

*2:もちろん意図的に下げたという意味ではありません。予算とかいろいろ大変だったと思います。