cubic in another

『劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』讃

f:id:hitotosem:20171103224208j:plain

 

 

 今更ですが、本日、『劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』を観てきました。本当に今更です。「どうせ総集編だろう」「演奏シーン映画館で観れるなら行くか」とどこかで高を括っていた自分が恥ずかしくなります。『響け!ユーフォニアム』はこの劇場版なくして完結しない、ということに気づくには、少し遅すぎたかもしれません。

 まず驚かされたのは、焦げ付いた鍋のメタファーでした。久美子の姉、黄前麻美子が味噌汁を作ろうとして焦がしてしまった鍋。その意味するところについては重々承知しているつもりでしたが、TV版で丹念に描かれた物語を105分に詰め込んだ劇場版では、そこに秘められたものがより克明に描き出されていたように思います。

f:id:hitotosem:20171103214344j:plain

 

 「大人」はいろいろなことを言います。「吹奏楽をやめろ」と言ったり、「勉強しろ」と言ったりします。それは、恐らくある程度まで正しいことです。そして、田中あすかのような「頭のいい」人間ほど、何ともないような顔をして「大人ぶる」ことができます。けれど、そんなあすかに対して、久美子は言うわけです。「先輩だってただの高校生なのに!」。これは明らかに、姉の言葉を受けてのものです。

 「大人」との軋轢、「世界」との軋轢、そういう鍋の底にへばりついて取れない焦げのようなものに対して「わかったふり」をするのではなく、必死で擦ってそれを削り落とす。そうして傷だらけになって、はじめて見えてくる輝きがある。そういう傷だらけの美しい光を、人は時に“青春”と呼ぶのでしょう。それは「大人ぶる」こととは正反対でありながら、「大人になる」ために必要不可欠なプロセスでもあります。

 

 この3人*1のユーフォ奏者——黄前久美子、黄前麻美子、田中あすか——の青春を捉えたフィルムは、「ユーフォっぽい」という不明瞭な言葉に輪郭を与えてもくれました。

 ユーフォニアムという楽器は、非常にマイナーな楽器です。“『響け!ユーフォニアム』を観るまでそんな楽器知らなかった”という人も多いと思います(私もそうです)。その上、合奏では埋もれます。基本的に目立たない。けれど、柔らかく丸みのあるその音色は、メロディ(ソロ)にも適している。そんな立ち位置の楽器だそうです。*2

 久美子やあすかも、基本的には目立とうとしません。というより、素を前に出そうとしません。どこか冷めたような顔をして、他人の領分にあまり踏み込まない。けれど、内にはとてつもなく熱いものを秘めている。そういう性質を指して、あすかは「ユーフォっぽい」という褒め言葉を使っているのではないでしょうか。

 そして、この作品は『響け!ユーフォニアム』です。『響け!トランペット』でもなければ『きたうじ!』でもない。ユーフォニアムを中心に据えた物語です。だからこそ、この映画を作らなければならなかった。久美子とあすか——2人のユーフォニアム奏者に焦点を当てて、物語を再構成しなければならなかった。

 人間というのは本当にめんどくさい生き物で、その身一つで表現できることなんてほとんどありません。傷を剥き出しにして闘えるほど、器用ではありません。だからこそ彼女たちは、その“届けたいメロディ”をユーフォに託す。傷だらけになって、内に秘めたものを解き放つ。「響け!」と。

 そうです。この物語のタイトルは響け!ユーフォニアムです。「ユーフォっぽい」2人の青春だからこそ意味がある。『劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』という珠玉のフィルムは、その被写界深度の浅さによってしか描けない“青春”をどこまでも美しく捉えていました。

f:id:hitotosem:20171103214807j:plain

 

 


* 余談ですが、進藤正和と田中あすかの親子関係がユーフォの音で繋がっているところ、しかもユーフォの音と滝先生を通して伝えられた一言だけで16年分の空白が埋まってしまうというところも「ユーフォっぽ」っくて本当に素晴らしい。

*1:書くと冗長になってしまいそうな上、劇場版ではあまり焦点が当たってなかったので省きましたが、夏紀先輩の不器用さも非常に「ユーフォっぽい」ところです。

*2:ネットで調べたりYoutubeで演奏を聴いたりしただけの雑な知識なので、あんまり当てにしないでください。