cubic in another

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アニメの感想など

『プリンセス・プリンシパル』論:日常と革命

 

それでも… それでも、私は女王になって、私たちを隔てているものをなくしたい

case2 Vice Voice

 思えば、『プリンセス・プリンシパル』という作品を突き動かしてきたのは、上に引いたセリフに代表されるような、プリンセスの〈革命への意志〉とでも呼べるようなものでした。それは元を正せばアンジェの願いであったわけですが、もはやアンジェはそれを望んではいません。けれど、プリンセスは「カサブランカの白い家に2人で逃げる」というアンジェの計画を拒絶する。「少女たちのスパイアクション」は、実のところこのプリンセスの我儘からはじまっています。

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 〈革命への意志〉と書きましたが、プリンセスは「革命」という言葉を好んで使ってはいないようです。*1 ですから、ここでいう「革命」とは、端的に「隔てているものをなくすこと」の意味です。このプリンセスの志向する「革命」の在り方は、case24*2において、ゼルダの計略との対比と共に極めて明瞭に描き出されています。 

「お気遣い無用です、プリンセス。たかだか4,5人の空腹を満たしたところで…」

「いいえ。これは私のためです。だって、みんなで食べた方が楽しいでしょう?」

case24 Fall of the Wall

 少し奇を衒ったような言い方に聞こえるかもしれませんが、「革命」とは、例えば「みんなでスコーンを食べること」です。和製ピカレスクの常道よろしく、チーム白鳩の面々は可能な限り血を流させない道を選んできましたが、プリンセスのいう「隔てているものをなくすこと(=革命)」も、その延長線上にあります。

 付けて、プリンセスの(元を正せばアンジェの)〈革命への意志〉は、突き詰めれば出会ってしまったことに端を発します。

アンジェ、私、女王になる。アンジェと入れ替わったおかげで、私わかったの。みんなを分ける、見えない壁がいっぱいあるって。私は女王になって、その壁を壊してやるの。そうしたらアンジェ、私とあなた、ずっと一緒にいられる!

case20 Ripper Dipper

 壁を越えて誰かが出会ってしまったこと、それ自体が既に「革命」である。つまり、間違った変てこな土俵入りをして勝利を祝うことも、鉢巻を巻いて洗濯をすることも、ピアノの連弾をすることも「革命」である。いささか綺麗事が過ぎるようにも思われますが、どうにも私にはそうみえます。

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 乏しい私見によれば、これに類するものとして、『ロミオとジュリエット』があります。『ロミオとジュリエット』では、モンタギューとキャピュレットの間の壁を壊すために、2人の若人の死が必要だったわけですが、ともあれ、その壁の破壊も、2人が出会ってしまったからこそ成し得たことでした。

ロミオとジュリエット』といえば、やはり「ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」というセリフが思い浮かびます。

ジュリエット

ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの。
お父さまと縁を切り、その名を捨てて。
それが無理なら、せめて私を愛すると誓って。
そうすれば、私はキャピュレットの名を捨てましょう。

ロミオ

〔傍白〕もっと聞いていようか、今、口をきこうか。

ジュリエット

私の敵は、あなたの名前。
モンタギューでなくても、あなたはあなた。
モンタギューって何? 手でもない、足でもない。
腕でも顔でも、人のどんな部分でもない。
ああ、何か別の名前にして!
名前がなんだというの? バラと呼ばれるあの花は、
ほかの名前で呼ぼうとも、甘い香りは変わらない。
だから、ロミオだって、ロミオと呼ばなくても、
あの完璧なすばらしさを失いはしない。
ロミオ、その名を捨てて。
そんな名前は、あなたじゃない。
名前を捨てて私をとって。

河合祥一郎訳『ロミオとジュリエット』第二幕 第二場

 この作品について物知り顔で講釈を垂れるほどの知識は私にはありませんが、ジュリエットの名前への懐疑を頼りに、一つの結論を導き出すことはできるように思います。それはつまり、「言葉とは嘘である」ということです。

 最も顕著なのは「プリンセス」という言葉でしょう。プリンセスはプリンセスではありません。あれは王族のフリをした「ただのスパイです」。本人がそう言っています。かといって、アンジェが本当の名前かと言えば、そんなに単純なことでもない。他方、アンジェの本当の名前がシャーロットかといえば、それもやはりそう簡単なことではない。同じように、王国、共和国、日本、壁、スパイ、あるいは「嘘」という言葉さえも嘘かもしれないわけです。

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 そんな中で、シャーロットとアンジェは、壁を越えて不意に出会ってしまいました。壁が「嘘」であると知ってしまいました。「革命」はそこからはじまります。そして、“「私たちは何?」「スパイ。嘘をつく生き物だ」”。壁を越えて出会うことのできる「スパイ」こそが「革命」の担い手なのではないか、と。そう読んでもいいはずです。ここで『赤毛のアン』を引いてもいいでしょう。

薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香るって本で読んだけれど、絶対にそんなことはないと思うわ。薔薇があざみとか座禅草スカンク・キャベツとかいう名前だったら、あんないい香りはしないはずよ。

モンゴメリ赤毛のアン』(松本侑子訳、集英社文庫、2000年)

ロミオとジュリエット』は、言葉、名前、嘘——そういうものの持つ力を暗に示しているともいえます。ですから、アン・シャーリーのこのセリフは、ジュリエットと逆のことを言っているようでいて、実は同じ表現の裏返しでもある。そして、プリンセスは言いました。「でも、言っているうちに本当になる嘘もあるわ」。

 と、ここまで考えると、〈シャーロット→アンジェ〉が〈ジュリエット→アン〉に見えてきてしまうわけですが、さすがにそれはこじつけが過ぎるというものでしょう。

 さて、ここまで私なりに考えたことをいろいろと書かせていただきましたが、実のところ、ここまでの内容は大して重要ではありません。『プリンセス・プリンシパル』の偉大な点は、何といってもエンターテイメントとしての質が高いところにあります。それでいて、悲劇的な側面もしっかりと描いている。「ヒットする作品は、本当に大事なことに多層的にオブラートがかぶせてある。だからこそヒットする」。*3 トリッキーな構成と、観返した数だけ裏を読んでしまうような言葉のあや・表情の機微、江畑諒真氏による極上のアクション、不条理さを正面から描いた、目を背けたくなるようなエピソード。この多層的に編まれた「嘘つきエンターテインメント」を全力で楽しんで、全力で騙されることが、何より大事なのだと思います。

 最後まで読んでいただいてありがとうございます。いささか暴力的でまとまらない論ですが、どうかご容赦ください。

 


*1:革命によって引き裂かれたのですから当たり前かもしれませんが

*2:TV放送版とソフト版で話数が違いますし、時系列順に整理したほうがわかりやすいと思うので、ここでは「第n話」ではなく「casen」の表記で統一します。

*3:氷川竜介『世紀末アニメ熱論』