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アニメの感想など

【メモ】『宝石の国』とCGについてのあれこれ

 手描きとCGのハイブリッド方式はもはや当たり前になっていますが、基本的に「手描きと合わせても違和感が少ないCG」を省力化のために使っている、というケースが多いです。そういう場合、理想は「手描きに見えること」で、CGっぽさが残っているとどうしても浮いてしまいます。ちょっと前だと、CGを使うこと自体が「手抜き」と言われていた時代もあったような気がします。

 そんな手描き至上主義の日本で、『宝石の国』は異例ともいえるほどのヒットを記録しました。日本式リミテッドアニメーション=「ANIME」の延長としての「CGアニメ」を作り上げたといっても過言ではありません。

 と、ちょっと大袈裟な感じではじめてみましたが、ともかく『宝石の国』は、私が今までなんとなく敬遠していた3DCGについて考えるいい機会になりました。多分まとまった原稿にはならないと思うんですが、ここ数ヶ月「CGアニメ」についていろいろと考えていたことをメモしておこうと思います。

(あくまで思考整理のためのメモ、考えたことの羅列であって、あまり正確性はないということを先にお断りしておきます。ブログだし)

 

 


●3DCGの動き

 3DCGについてよく言われるのが「ぬるぬる動きすぎて気持ち悪い」ということ。確かに、日本のアニメで基本になっている3コマ打ち(1秒間に8フレーム) の映像と比べると、1秒24フレームのCGの動きは重たく感じます。*1 この「重たさ」や「メリハリのなさ」をなくす方法として真っ先に浮かぶのは、コマを抜くこと。最近知ったんですが、これ『シン・ゴジラ』でもやってるそうです。

 そんな感じで、コマ抜きはいろんなところで行われているわけですが、じゃあコマを抜いて必要なとこだけ残せば全部解決かというともちろんそんなことはなくて、CGでアニメを作るといくらコマを抜いてもやっぱりカタい感じになってしまう。その原因の一端は「変形」が発生しないことにあるようです。人が手で原画・動画を描くと、どう頑張っても誤差が出て、微妙に絵が変形する。だからやわらかく感じられる、と。こちらのブログがとても参考になります。

 そうなると思い出されるのが、コマを抜いた上で大胆にデフォルメした『キルラキル』のCG。ここまでやると、ほとんど手描きと変わらないように映ります。

 

●3DCGの質感 

 動き以外で問題になるところというと、やはり質感でしょうか。いくらトゥーンレンダリング*の技術が進んでも、手描きの質感をそのまま再現することはできない。どうしても「CGっぽさ」が残ってしまう。これは、元がCGである以上、ある程度仕方がないことでしょう。

 CG主体のアニメでも、背景美術は手描きのことが多いです。『宝石の国』も『けものフレンズ』もそうでした。3Dの背景や素材に手描きでタッチを足す、というパターンもあると思います。

 

●3Dレイアウトの問題点

 最近は3Dレイアウトも当たり前になってきました。『アニメスタイル012』*で竹下良平監督が、『エロマンガ先生』の正宗の家はほぼ3Dレイアウトだと言っています。同誌に『有頂天家族2』の3Dレイアウトと完成画面の比較も載っています。

 3Dでレイアウトを組む利点は、何といっても構図の破綻を防げることにあります。「なんかこのカットだけ異常に部屋広くない?」とか「ここ前のカットと立ってる位置違うよね」みたいなことがなくなるわけです。その上、PC上ではレイアウトを組むだけですから、セル部分も背景も手描きで描けます。基本的にいいことしかありません。

 と思っていたのですが、「正確すぎる」ことが問題になることもあるらしいです。それも「なんか全部完璧だと人間味がないよね」みたいな、メンタル的な話ではなく、身体的な理由で。というのも、人間は2Dの視覚情報に脳で処理を加えることで「立体」として認識してるそうなんですね。この辺は引用した方が早そうなので引用します。

 視覚を司るのは眼球である。そのセンサーとなる網膜は平面、厳密に言えば半球にマッピングされた視細胞の2Dマトリックスだ。人間の実存は3Dだが、ツーディメンショナルな知覚を媒介にして現実空間の情報を把握する。脳が2D情報から3Dの手がかりとなる要素を読みとり、処理が加わることで初めて「立体認識」が生じる。


 さて、3DCGの導入でパースが正確になって良いことずくめかと言えば、そうではない。最大の難点は、「3DCGが正確すぎること」で、それが「世界観への没入」を阻害する可能性があることだ。

 「映画は錯覚(トリック)」であるから、「パースに合わせてレイアウトをとる」ということへの懐疑の発言も、たびたび聞く。美術監督小林七郎氏は「絵であること」をすごく重視し、パースについて、「人間の視界は紡錘状である」と語ったという。

 確かに眼球は球面だ。光が肉眼に投影された時点で、すでに直線成分は歪んでいる。シネラマなど巨大スクリーンを使う映画も奥に向かって球面となるよう設計されている。カメラのレンズ、眼の水晶体自体も歪み(ディストーション)を有している。

 視界の周辺で部屋の天井がどう見えるか再確認してみると、確かに直線ではない。直線と認識する補正がかけられているだけだ。映像作品にはフレームという直線成分がつきまとう。卓越したレイアウトマンでもある今敏監督からは、画面を垂直、水平によぎる線を入れないと聞いた。サブフレーム、マルチウィンドウに見えないような配慮であろう。

氷川竜介『2Dアニメ VS 3DCG(ロトさんの本Vol.35)』

 そもそも人間は「正確に」空間を捉えていない。だから「正確」であることは、必ずしもリアリティと結びつくとは限らない。非常に興味深い視点だと思います。

 

●タテ移動の驚き

 では、逆に3DCGの利点は何かというと、「いっぱい動かせる」とか「フォトリアルな質感が出せる」とかいろいろあると思いますが、「Z軸方向の移動ができる」というのもその一つだと思います。

 もちろん2Dでも擬似的なZ軸方向の移動はできますし、マルチにはマルチならではの魅力があるのですが、背景動画的なアプローチが躊躇いなくできるのはやっぱり3Dの利点かなあと。密着マルチについては、こちらのサイトがとても面白く参考になります。*2

 話を戻します。この間「話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選」の記事*でもちょっとだけ書いたんですが、やっぱり「作中空間をカメラが自由自在に移動する」ことには、センス・オブ・ワンダーとでもいいますか、驚くほど凄まじい感動があります。そして、そのエネルギーを巧みに使って、新しい足を手に入れたフォスの身体的な驚きを表現しきったのが、『宝石の国』5話だったのだと思います。何度かタテ方向*3 にカメラを動かし、動的なエネルギーを少しずつ積み上げて、あの回り込みのシーンに結実させる。そんな演出設計がどこまでも素晴らしかったので、10選に選ばせていただきました。

 で、このZ軸方向の移動=タテ移動に喚起される感覚は、人間の発達段階とも関連している、という見方があって、これがまたすごく面白いんですね。またここで氷川さんに登場していただくことになるんですが、まあともかく、こういうことです。

 手足の筋肉がつくと、幼児はハイハイする(クロールする)ことで前進運動を開始する。初めて「目」というカメラが主体的に全体の移動という体験を開始する。そのとき、自分の視界が「パースペクティブ」を持っていることが、「驚き」「喜び」を発生させる。身体周囲にある積み木、タンスなど直線を有するビジュアルが、自分の体が動くことによって激しくダイナミックに変化する体験を覚える。

 この通過儀礼により、「世界が三次元情報を持っている」という抜本的な成り立ちを認識し始める。

 首を振る行為は、三次元方向のZ軸に相当するベクトルを持っていない。視界はスクリーンのX、Y軸の変化に限定される。映像の現場では「ヨコ移動」と呼ばれるものだ。

 ところが主体的に手前へ踏み出すことでZ軸の変化が生まれる。現場用語では「タテ移動」と呼ばれる動きの原体験は、世界の構造を把握した衝撃とともに、驚きの体感として刻みこまれるはずである。もちろん、具象的な記憶としてはすぐ忘れられてしまうだろう。しかし驚きと喜びの感覚は、ずっと脳の奥深くに眠り続けてスタンバイとなる。

氷川竜介『2Dアニメ VS 3DCG(ロトさんの本Vol.35)』(太字引用者)

宝石の国』を観ていて「カメラワークやべえ」ってなることが多いのは、多分京極監督の演出回より武藤健司さんの演出回の方だと思うんですが、その中でも個人的に強く印象に残っているのが7話のここ。

はじめて観た時、何だかTV画面に吸い込まれそうになって、カメラを動かすだけでここまでの表現ができるのかと、ただただ驚いて茫然としていたのですが、あの感覚も原初的な「驚きと喜びの感覚」に依るところが大きいのかもしれません。

 

●『宝石の国』の温度

(私自身がまだ原作を読めていないので、原作との関係性を語るべきではないのかもしれませんが)原作を読んだ方は「どこか冷めている」とか「なんとなく突き放される感じがする」とかいうことを口にすることが多い気がします。なので、元々『宝石の国』はCGの「なんとなく硬い感じ」とよく合う作品で、だからこそ広く受け入れられたという面もあるのかなと、そう思います。そのことに関連して面白かったのが、Sakuga Blogさんのこの記事*。読みにくい拙訳で申し訳ないですが、

—— それはつまり、このシリーズには一考に値するような注目すべき2Dの仕事があるということです。通常のアニメでは、3D素材は基本的に異質な目立つもの——手描きで描かれた登場人物たちとのコントラストを活用する簡単で効果的な方途——として映ります。ですが、3Dが主である『宝石の国』では、2Dで描かれるのは主に「異質なもの」に見える月人やアドミラビリス族で、より擬人化要素の強い宝石たちは通常3Dです。この2Dと3Dの逆転現象は、この作品自体の性質をそのまま逆転させてしまったことによって起こっているようにも見えます。が、本当にそうでしょうか? ウェントリコススの語っていた伝説を信じるとして、感情を持つ石(宝石たち)よりも、「肉」であるアドミラビリス族や「魂」であるところの月人の方が、私たちが「普通の生き物」として知覚するものに近いのではないでしょうか。ですから、結局のところ、これは普通のアプローチと何も変わらないのです。これは恐らく、意図的に決められたことではありませんが、それでも巧みな演出です。

 結構誤訳もあると思うんですが、まあともかく、宝石たちの「人間性のなさ」とでもいいますか、そういう突き放されるような不思議な感覚とCGは相性がよかったのかもしれない。アニメ好きの人なら、「2Dの中に混じった“CGっぽい”CG」「浮いたCG」を見慣れてますから、そこが逆に上手く作用したのかもしれない。そう考えると、(原作アニメ関係なく)この作品自体の魅力も見えてくるのかなあと思います。

 

●ハイブリッドの比率の逆転

 付けて、『宝石の国』はCGアニメというより、ハイブリッド式の最先端と言った方が正しいのではないか、とも思えてきます。いろんなところで指摘されている通り、かなり巧妙に手描きが混じっていて、ちょっと変な言い方ですが、3Dの利点を活かすために惜しみなく2Dを使っている印象がある。『宝石の国』の新しさは、この2Dを3Dに寄せるアプローチ——ハイブリッド式の2Dと3Dの比率を逆転させたこと——にあるのだと思います。

そもそもアニメにおいて「CGが浮いている」と言われるのはどういう状況かというと、CGが作画に寄り添っていないときですよね。つまり作画が主で、CGが従であるという考えが前提になっている。だから手描きアニメのなかでCGを用いるときというのはこれまで、なるべくCGっぽさを消そうと努力されてきました。でも僕は前々から、CGが作画に勝ってもいいんじゃないかと思っていて。

『MdN』2017年11月号 京極尚彦インタビュー

 急に話が飛びますが、魔法≒アニメへの信頼を描いた『リトルウィッチアカデミア』の5つめの言の葉は「シビラデューラ・デラレビューラ」、意味は「伝統と新たな力が交わるとき、まだ見ぬ世界の扉が開く」でした。『宝石の国』はまさにこの言の葉を体現していて、「CGの魅力が一番前に引き立っているアニメ」*4 という新しい「CGアニメ」を産み出した。これは歴史に残ることだと思いますし、さらに言えば、そんな『宝石の国』を超えて『Fate/Apocrypha』22話が10選企画で1位を取った*ことも、非常に意義深いことだと思います。作画の伝統も、新しいことに挑戦する姿勢も、そのどちらも失われてはいない。業界に暗いうわさばかりが飛び交う今日ですが、日本のアニメの未来は明るいと、そう信じてみたくなります。

 


●あとがきに代えて

 想定してたより何倍も冗長になってしまいました。最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。不勉強ゆえ、不正確な文言もあるかと思います。特に撮影(コンポジット)のことがよくわかっていなくて、今のセル様式のデジタル撮影で、どれぐらいのことができて、何ができないのかが明確に理解できていません。タイムシートの読み方とかも正直よくわかりません。実写映画の知識に至ってはほとんどゼロです。そんな感じなので、何か間違いがあればご指摘いただけると助かります。また、引用を結構見境なくしてしまったので、関連書籍をお持ちでない方は、各々の興味に合わせて、是非ご購入いただければと思います。

 


*1:余談ですが、〈2コマ=フルアニメーション、3コマ=リミテッドアニメーション〉という考え方は、いろいろ問題があるみたいです。参考:β運動の岸辺で[片渕須直] 第27回 死語である“フルアニメーション”アニメの作画を語ろう animator interview 井上俊之(4)

*2:マルチプレーンカメラといえば、「日本のアニメーションの父」とも言われる政岡憲三氏は自分でマルチプレーンカメラ設計しちゃったそうです。それも戦前に。『くもとちゅうりっぷ』のようなアニメーションが戦前の日本で作られていたという事実は、もっと広く知られていてもいいのではないかと思います。

 

*3:映像業界では、上下左右の移動(PAN)を「ヨコ移動」、奥・手前(Z軸方向)の移動を「タテ移動」というそうです。アニメの(非マルチ)TU/TBは実写のズームにあたるものなので、タテ移動ではないと考えていいのだと思います。多分。

*4:“「CGアニメ」というのは「CGの魅力が一番前に引き立っているアニメ」のことだと僕は思っているんです。別に、すべてがCGで描かれなければいけないとは思わなくて。背景の奥の木が立体であろうと手描きであろうと、面白さに変わりがなければどちらでもよくて、手で描いたほうが早いならそれでいい。実際、樹木の表現をCGで手描きと遜色ないクオリティにまで持っていくのは、結構時間がかかってしまうんです。カメラが回り込むならCGで作る必要があるけど、正面から撮っているだけで裏側が見えないなら、手で描いちゃえばいい——というくらいドライに考えています。フルCGなら空間全体をCGで作り込んでこそ漢[おとこ]、みたいな考えもありますが(笑)。そこはシーンに応じて合理的に考えればいいし、逆に言えば、CGのメリットが一番上手く出る形を構築していくのが、CGアニメの演出の面白いところかなと思います。”(『アニメージュ』2018年1月号 京極尚彦インタビューより、太字引用者)