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アニメの感想など

前に進むための場所:『宇宙よりも遠い場所』第11話

宇宙よりも遠い場所 STAGE11 ドラム缶でぶっ飛ばせ! 

[脚本:花田十輝/絵コンテ:佐山聖子/演出:大庭秀昭/作画監督:小山知洋]

 


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© YORIMOI PARTNERS

 帽子で顔を隠しながら、無理矢理笑って感情を見せまいとする。三宅日向というキャラクターを顕著に表した、とても丁寧な芝居です。誰も見ていないところでの「ざけんな」との対比も鮮やかで、クライマックスの必死で隠している感情が滲み出てしまった表情(「小っちゃいな私も」)も活きてくる。「伝わる絵」とはこういうもののことを言うのでしょう。

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「一見社交的に見えて、実は感情表現が苦手」なのが日向だとすれば、「一見社交性ゼロに見えるけど、言いたいことは全部言う」のが報瀬です。だからこそ「手だけでいい」のかもしれません。報瀬の言葉はあまりに真っ直ぐすぎて、受け止めきれないから。そんな風に向き合えないから。

 けれど、日向の痛みは、他ならぬ「手」によって報瀬の額に残ることになります。おどけて見せても、やっぱり痛みは伝わってしまうわけです。報瀬が汲んだ「ある意味世界で一番綺麗な水」を日向が運ぶという図式も非常に示唆的で、この一連のシーンだけで、2人の間にある感情の流れが見事に描き出されています。

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 そして、2人に取っての「宇宙よりも遠い場所」の意味するところが、ここにきて重なることになります。9話で報瀬はこう言っていました。

帰ってくるのを待っていた毎日とずっと一緒で、何も変わらない。毎日毎日思うんです。まるで帰ってくるのを待っているみたいだって。変えるには行くしかないんです。お母さんがいる、「宇宙よりも遠い場所」に。

STAGE09 南極恋物語(ブリザード編)

 この通り、報瀬にとっての南極は「変える」ための場所であり、前に進むための場所です。反対に、日向にとっての南極は、言ってしまえば「逃げる」ための場所でした。

私がさ、何で南極来たと思う? 何にもないからだ!

何のしがらみもない人と、何にもないところに行きたかったんだよ。

見ろよすごいじゃん! 氷河! 地層! 雪解け水!

どれも見たことない色、見たことない形。私たちが知ってるものは何もない。今までと全然違う別の世界がここにあるんだぞ。それを楽しむために来たんだ!

なのにこれじゃ意味ないだろ?

STAGE11 ドラム缶でぶっ飛ばせ!

 でも、報瀬は逃げることの不可能性を、誰よりよく知っています。「なかったことにする」なんて無理なんだとわかっているからこそ、「宇宙よりも遠い場所」に来たわけです。「変えるには行くしかない」わけです。だから南極は「何もないところ」ではない。逃げるための場所でもない。そうです。

意味なくなんてない。意味なくなんてないから!

宇宙よりも遠い場所」は前に進むための場所なのだから、過去に追い立てられ悩まされることも無意味ではない。こうして、2人に取っての「宇宙よりも遠い場所」が重なります。「友達」と歩いてきた道は、決して後ろ向きではなかったのだと、日向は「友達」によって気づかされます。

日向は、もうとっくに前を向いて、もうとっくに歩き出しているから!

私たちと一緒に踏み出しているから!


私は日向と違って性格悪いからはっきり言う。あなたたちはそのままもやもやした気持ちを引きずって生きていきなよ!人を傷つけて苦しめたんだよ。そのくらい抱えて生きていきなよ!

それが人を傷つけた代償だよ!

私の友達を傷つけた代償だよ!

 

 そんな彼女たちが流す涙は、本当に、本当に美しいです。

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