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アニメの感想など

一度きりの舞台を求めて——『レヴュースタァライト』の劇効果

 上手と下手の入れ替わりを舞台演出そのものとして劇的に力強く描ける点は、この作品の強みであるといえるでしょう。映像である以前に舞台でもある今作では、そこに表れてしまう作為でさえも、劇効果として利用することができます。 

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6話の想定線越え。絵コンテは佐伯昭志さん。

 6話で印象的だったこの想定線越えですが、同じように劇的な想定線越えが8話にもありました。「きらめきの再生産」——全ての光を一点に集め、赤から青へと舞台が変貌し、神楽ひかりが上手へと移動する。この色の変化と想定線越えに、私は『スタァライト』の感動の源泉を見たように思います。

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 8話では、赤色の舞台は用意された学校の舞台であり、また神楽ひかりが「きらめき」を失った後の舞台でもありました。その反復の戯曲に亀裂を入れたのは、あの約束の塔と青色の波。きっと、スポットライトの色である青色は、「ひかり」の色でもあるのでしょう。「ひかり、さす方へ」進むことを決めたとき、舞台の色が塗り替えられ、上手と下手が入れ替わる。つまり、たった一人の少女の想いが、覚悟が、決意が、舞台そのものを予測不可能な「運命」へと変貌させていく。この何よりもリアルな「舞台演出」こそが、『スタァライト』の感動の源泉ではないかと思うのです。 

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 予測不可能だということは、この作品自体に対しても言えることです。歌い踊り闘う彼女たちを見守る私たちの目は、この作品の物語を追う私たちの気分と奇妙な一致を見せています。だから、こうも思えてきます。「何が起こるか誰も予測できない運命の舞台。私はそれが観たいのです」とあのキリンは言いましたが、「誰も予測できない運命の舞台」を誰より求めているのは、私たち視聴者ではないだろうか、と。それに、そもそも舞台というのはナマモノであって、予定調和ではありません。そんなナマモノの舞台を、『スタァライト』は「映像」という完成品を放映する媒体で観せてくれる。映像の中に観劇の「気分」が巧妙に仕組まれている。一度きりの舞台をどこまでも追い求めた、非常に稀有な映像作品だと思うのです。

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 そして、青い夜空にきらめく赤い約束のタワーが、彼女たちの切り開いていく運命を予感させてくれているようにも思えるのです。*1

 

 

 


*1:第8話は絵コンテ、演出、アクション作画監督、さらには原画筆頭まで全て光田史亮さんです。この名を明記しないわけにはいきません(注で申し訳ない…)。ワイヤーアクションがめちゃくちゃかっこよかったです。素敵な挿話をありがとうございました。*